姫島村リンチ殺人事件


−経緯−
昭和37年3月29日、大分県姫島村で暴力団と関係していた嫌われ者の兄・A(当時27歳)、弟・Bの兄弟と島の青年団39名が乱闘。その結果、兄弟は死亡し、青年団の代表7人が警察に出頭した。

姫島村は大分県国東半島の北方で瀬戸内海に浮かぶ自然豊かな島である。事件当時の人口は約4000人、世帯数800戸で争い事も無く平和な村だった。ところが、昭和31年に同村出身のAが今まで暮らしていた別府から戻ってきた。Aは村で映画館を建て商売を始めた。漁業が中心の村経済では、村人の唯一の楽しみは映画鑑賞であった。その結果、映画館は繁盛し商売は成功した。やがて、兄・Aの商売成功を聞きつけて弟・Bも姫島村にやって来た。

兄弟は、別府で暴力団と関係していた。この事実は姫島村でも知れ渡る。2人は派手な格好で好き勝手な行動をとるようになった。村を我物顔で歩き、些細なことで村人に因縁をつけて殴る、蹴るの暴力行為を受けた者は100人以上にのぼった。だが、村の青年団はバックに暴力団が付いていることに恐れをなして黙っているしかなかった。

中には、被害を警察や役場に届けた者もいたが、兄弟の親戚には村会議長・議員がいて被害届をうやむやにされた。そして、その次にくるのが被害届を出した者への「お礼参り」であった。

−リンチに発展−
昭和37年3月上旬、村の青年団が「少女歌劇公演」を企画し開催した。無料であったこともあり、公演は好評で多くの村人がつめかけた。一方、兄弟が経営する映画館は客が激減。このため兄弟は青年団に対して激怒し「必ず落しまい」をつけるぞと脅した。

兄弟の仕返しを恐れた青年団は公民館で集団泊り込みを始めたが、3月29日の未明、兄弟は土足で公民館に上がりこみ暴れだした。その結果、青年9人が負傷した。これに激怒した青年団40数名は、過去の鬱積が一気に爆発し、逆に兄弟を懲らしめようと立ち上がった。

当日の深夜、青年団39人が兄弟の家に向かった。一方、兄弟はスコップを持って応戦。青年団は殺意は無かったものの理性を失い兄弟を袋叩きにした。青年団が我に返った時、兄弟は既に虫の息で、その後死亡した。


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