菅生事件


−経緯−

昭和27年6月2日午前12時30分頃、大分県阿蘇山麓の菅生村で駐在所が爆破された。その爆破された同時刻に近くを歩いていた男二人が、待ち伏せしていた警官隊に逮捕された。逮捕されたのは日本共産党員の後藤秀夫と坂本久夫で、仲間3人と爆破犯人として起訴された。当時の新聞は「地下軍事組織を摘発した警察当局は大手柄であった」と報道した。

−謎−
しかし、後藤らが逮捕された状況には不可解なことが多い。まず第一に、なぜ爆破と同時に後藤らが現場付近を歩いていたのか。実際の犯人であれば一刻も早く逃走するはずだ。実は、この二人はこの夜、最近仲間に加わった市木春秋という男に呼び出されていた。

用事を済まして別々に別れて帰宅しようと、市木が駐在所の方へ立ち去った直後、駐在所が爆破した。市木は、それっきり姿を見せなかった。また、爆破と同時になぜ警官隊が付近にいたのだろうか。これに関して当局では、牛泥棒を張り込み中に駐在所の爆破現場に偶然居合わせたのだと弁解している。

第一審において、後藤らの有罪が宣告された。弁護団は、市木が事件の鍵を握っているとして、必死に行方を調査した。そして、ついに市木を発見した。なんと市木は、大分県警の巡査長、戸高公徳であることが判明した。戸高は事件後、上京し行方をくらましていたが、新聞記者が昭和32年3月につきとめて全容が明らかになった。昭和33年6月、ようやく後藤らの無罪が確定したが、真犯人は永久に闇に葬られた。尚、戸高はその後復帰し警部補に昇進した。


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