饅頭屋夫婦殺人事件


−経緯−
昭和33年6月9日熊本県玉名郡長洲町の饅頭屋で長持の中に入れられた2体のミイラ化した遺体を発見した。警察の調べで、この遺体は同家の主人で乙部時盛さん(当時48歳)と妻(当時63歳)であることが判明した。

乙部さん夫婦は2年5ヶ月前の昭和31年1月12日早朝、店の表戸に「都合により半月間休業します」という貼り紙がだされてから行方不明になっていた。妻の実弟が警察に届けるとともに近所、知人に心当たりがあるか聞き回ったが手掛かりは掴めなかった。

それから2年が経過し、誰も住まないと家が傷むため親族会議で妻の姪の婿が乙部宅を借りることになった。引越しが昭和33年6月9日で、大掃除していた時に長持に入っていたミイラを発見したのだった。

−二重戸籍の男−
乙部夫婦は司法解剖によって、鋭利な刃物により死亡したことが判明した。警察は、夫婦喧嘩の末に刺殺したのではとの疑いを持ったが、それでは2人とも長持に入っていたことが説明がつかない。そこで、夫婦が失踪する以前に店員として雇っていた松江陽一(当時20歳)が事件の鍵を握っているとして行方を追った。

警察の懸命な捜査にもかかわらず、松江の行方が掴めなかった。というのは、身辺を追跡調査したところ松江陽一の戸籍は原爆で両親を亡くしたため新しく戸籍を作成していたことが判明したのだった。更に捜査を続けてようやく松江陽一は本名・三枝賢であることが判り昭和33年6月11日、全国に指名手配した。そして半年後の同年11月11日、三枝は東京都内で逮捕された。三枝は金を奪うことを目的に乙部夫婦を刺殺。その後、妻名義の預金2万7000円を銀行から引き出して逃走していたことを自供した。

昭和34年4月7日熊本地裁は三枝に死刑を言い渡した。3ヵ月後の二審で控訴棄却。昭和34年12月16日最高裁は上告を棄却して三枝に死刑が確定。昭和37年12月21日福岡刑務所で死刑執行。


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