八高線・正面衝突事故


−経緯−

昭和20年8月24日午前7時40分頃、国鉄(現JR東日本)・八高線の列車上下線が多摩川鉄橋で正面衝突し死者105人(但し、戦後間もなくの混乱期であり正確ではない。それ以上とする資料もある)、負傷者150人前後の大惨事となった。

八高線は東京都下の八王子市と群馬県・高崎市を結ぶ単線の路線。終戦から9日後の混乱期であり、食料を買出しに埼玉県や群馬県の農家に出向く乗客で車内は相当混雑していた。

−原因−
事故当日の天候は暴風雨であった。その影響で信号故障が発生、さらには駅同士の電話連絡も遮断されていた。このため、単線における正面衝突を避けるための「タブレット」が箱から取り出せなかった(駅同士の連絡で機械からタブレットを取り出すが、連絡遮断によりタブレットが取り出せなかった)。このような状況下、八王子駅を出発した列車(蒸気機関車と客車5両)は小宮駅でタブレット代替えとして指導員を乗車させ出発させた。

一方、高崎方面から八王子行きの上り列車(蒸気機関車と客車5両)も拝島駅で同様に指導員を乗車させ出発した。タブレット代替えは1区間に1人の指導員を選任し、その指導員が乗車している列車のみ走行してよいことになっているのだが、駅同士の連絡遮断により1区間に2人の指導員を選任してしまった。その結果、小宮駅と拝島駅の中間地点である多摩川鉄橋で正面衝突してしまった。

八高線は、その2年後の昭和22年2月にも「八高線・列車転覆事故」で死者163人を出す大惨事の事故を起こしている。終戦直後の物資不足、労力不足(ベテラン運転手や駅員、保線員らの戦死)などが要因としてあげられる。



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