愛知・バラバラ殺人事件


−経緯−

昭和34年9月25日の早朝、愛知県西尾市小島町の矢作川支流の鉄橋下にポリ袋に入れられている胴体が浮いているのを近所の農家が発見。西尾警察署に通報した。

警察が調べた所、胴体は若い女性で左乳房と陰部がえぐり取られ、みぞおちから下腹部まで縦状に切り裂かれていた。内蔵も取られ縄やワラが詰まっていた。さすがのベテラン刑事たちも、戦慄が走りながら懸命に捜査を続けた。

翌26日は、伊勢湾台風の影響で現場は暴風雨となったが、捜索を継続した結果、頭部・左手・内蔵が入ったポリ袋を発見した。このポリ袋には被害者の物と思われるワンピースが入っていた。そのワンピースを調べると襟裏に福岡県小倉市(現、北九州市)の洋裁店名が入ったネームが付いていた。

捜査本部の刑事2名は、小倉市へ急行。問題の洋裁店に出向き、ワンピースを見せながら注文者の名前を調べさせた結果、このワンピースの持ち主はA子さん(当時18歳)であることが判明した。

刑事は、洋裁店からの情報を頼りにA子さんが勤めていた駅前の喫茶店を訪ねて店主に事情聴取した。店主の話では8月12日に求人広告を見て応募してきたが、31日の朝、突然名古屋に行くと言って出て行ったという。彼女の出身地は佐賀県ということしか分からなかった。

−刑事の執念−
刑事は、佐賀警察に連絡。その結果、A子さんの捜索願が母親から届け出があることが判明。母親に面会し事情聴取したが、犯人に結びつける手掛かりは掴めなかった。

そこで、捜査本部は名古屋市、西尾市の友人・知人やバー、キャバレーなど飲食街を徹底的に捜査した。そして、ついに9月2日、名古屋市の洋品店主から「A子さんが突然訪ねてきたが、岡崎の洋菓子店に勤めている女友達の所に行くと言っていた」との証言を掴んだ。

捜査本部は女友達を捜索し見つけ出した。この女友達の話では「9月2日夜、A子さんが大木食堂(仮名)の主人の車に乗ってきた。お金を貸してと言われたので断ったら、その車で帰った」と言うことだった。

捜査本部は、大木憲吉(仮名・当時42歳)を殺人、遺体遺棄の容疑で逮捕した。大木は、岡崎市で商店会長、冷凍協会役員なども勤める地元の名士だった。大木は捜査本部の厳しい追及で犯行を自供した。

大木は、味噌醤油製造業の1人息子で裕福な家庭に育った。20歳の時、結婚したが陸軍に徴兵され中国戦線で2年間転戦した。復員後、妻と温泉旅行したが、宿泊中に妻が心臓麻痺で死亡。3年後に再婚したが、やがて離婚。その他、大木と関係があった女性3人が行方不明になっているとの‘噂‘があった。

大木はA子さんの殺害に関して「金を貸す代わりに体を要求したが、強く拒否された。頭にきて殺害してしまった。その後、ドライアイス詰にし、5日間、死姦を繰り返して最後はバラバラに解体して遺棄した」と自供した。

公判では、A子さん殺害の事実を認めたものの、3人の女性の行方に関しては一切知らないと主張。だが、結果は、死刑判決を言い渡されて執行。


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