硫酸溶解殺人事件


−経緯−
昭和31年3月2日、警視庁捜査1課は日本最大手のN皮革会社の技師で近森英治(仮名・当時26歳)を殺人、死体損壊容疑で逮捕した。同日朝9時すぎ、同社の常務から警察に「部下が殺人をおこした疑いがある」と連絡。捜査1課が東京都足立区にある近代的なN皮革工場に急行した。

案内されたのは試験工場の2階。この部屋で大柄な男がソファで寝ていた。傍には便箋に「死、死、ああ怖い」と記載され、青酸カプセル2個が置かれていた。常務は、近森は青酸カプセルは飲んでいない事、寝ているのは酒で泥酔している事、同僚の技師が1階実験室の樽の中にある事を捜査官に説明した。そして、6通の封書を差し出した。あて先は「母上様」、「愛する妹へ」、「市田奥様」、「常務様」、「川上君」と「事件経過書」となっていた。

この「事件経過書」には、同僚の市田徳(当時35歳)さんを殺害し、遺体を化学薬品で溶解して完全に証拠隠滅を図り、自分も自殺する内容が記載されていた。そこで、泥酔していた近森を揺り起こしたが。目を覚ました近森は猛烈に暴れだした。近森の体躯は巨漢で力士並。4人の刑事が手錠をかけるのに10分も要した。

−硫酸溶解−
1階の実験室で革をなめすための薬品が入った原革樽に白骨化した市田さんの遺体が発見された。頭蓋骨は直径3センチの殴打痕があったが、かろうじて原型を維持しており間もなく完全に溶けてしまう状態だった。

近森は東大理学部を卒業しN皮革の技術研究員として専門研究に従事した。いわゆるエリート研究員で1年後には北米に遊学し帰国後は最新の試験工場を建てた。

さらに、製革の世界的権威であるカナダのベルーガン博士を招聘。英語力、技術力が抜群であった近森は同博士から寵愛を受け、先輩・同僚技師から敬遠される関係となってしまった。また、近森も次第に横柄な態度を取るようになり、事件前には完全に職場で浮いた状態だった。

この時、市田技師だけは何かと近森を励ましながら他技師との不和を解消しようと一緒に飲んだり話相手になっていた。事件は2月28日に起った。市田技師は近森を自分の研究室に誘って酒を飲んだ。だが、酒に酔った2人は互いに口論となり近森はハンマーで市田技師を殴殺してしまった。

近森は完全犯罪で逃れることを決意。3月1日になって塩酸を発注し樽に市田技師の遺体を入れて第1工程を始めた。第二工程で完全に溶解する予定であったが、やがて罪の深さを知ることになり取りやめた。そして自分も自殺することを決意し研究室で青酸カプセルを゛夜8時の汽笛に合わせて飲む゛ことにして酒を飲み始めた。が、泥酔したため翌日の朝までソファで眠ってしまったのが事の真相であった。

近森はアルコールによって完全に人格が変る精神的問題が指摘された。そのため病院で1年間の精神鑑定を受けたが結果は「異常無し」だった。昭和34年8月東京地裁は懲役6年の判決を言い渡した。意外に刑軽だったのは泥酔した上での殺人と言う点が考慮されたものと見られる。


ホーム

inserted by FC2 system