矢野村・農家一家殺人事件(兄弟身代わり犯人事件)


−経緯−
昭和22年5月23日夜、兵庫県赤穂郡矢野村(現・矢野町)の農家に古川高志(当時19歳)と兄T(当時29歳)が強盗目的で古い斧を持って侵入。兄Tが歩くと床がきしんで音をたてたため就寝中の農家の妻(当時35歳)が起きだして叫び声を上げた。すると兄Tは咄嗟に斧で殴り殺し、騒ぎで起きだしてきた当家の主人(当時37歳)も同様に斧で殴り殺した。

兄Tは弟の高志に斧を捨てて来いと言って斧を渡した。高志は同家の便所に斧を捨てて、再び部屋に戻り兄Tと衣類57点を奪って逃走した。近所の通報で相生警察署が現場検証と周辺捜査に乗り出した。やがて、聞き込みから古川兄弟が捜査線上に浮上し逮捕した。

古川兄弟は相生警察の取り調べに対して「犯行を素直に認めた」。だが、主犯は高志で兄Tは高志の指示に従っただけという供述を基に検察側が起訴したことが後々まで問題となってしまった。

−身代わり死刑−
一審の神戸地裁姫路支部は、弟の高志に死刑、兄Tに無期懲役の判決を言い渡した。従犯として無期懲役を受けた兄Tはそのまま服役。だが、逮捕直後から一審判決まで終始一貫して主犯は自分だと主張していた高志は死への恐怖が高まってきたのか、今までの主張を一転し「兄Tが主犯である」と控訴した。

この頃、高志の姉が大阪拘置所の教戒師を訪ねて来た。姉は「弟は、以前に窃盗で前科があり、しかも体も弱く、妻帯者である兄Tを庇い罪を背負う気になったのだと思います」と告白した。これに驚いた教戒師は早速、高志に面会し事の真相を問いただした。すると高志は、逮捕された相生警察署の向かい合わせの留置場で、兄Tに「俺が罪を全て負うから」と約束したことを白状した。

控訴審では、証人として兄Tが呼び出された。裁判官に真実を問い詰められると、弟の視線を避けるように顔をそむけて「やったのは、弟です」と小さい声で証言した。これにより、昭和23年7月、大阪高裁は高志の控訴を棄却。昭和26年2月2日最高裁は上告棄却で弟の高志に死刑が確定した。

昭和28年3月20日高志は大阪拘置所で死刑執行。高志の教戒師への遺書では「裁判所が二度とこんな誤りを繰り返さないように祈ります」という内容が記されていた。一方、兄Tは服役中の神戸刑務所で同房者に何度も「殺したのは俺だ、俺はなんと卑怯な兄だろう」と漏らしていたという。


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