母親バラバラ殺人事件


−経緯−
昭和35年6月8日午前5時頃、奥野清(当時36歳)は大阪市住吉区の自宅で母親を絞殺し、その翌日、死体をのこぎりでバラバラにして雑木林に棄てた。近所では、母親想いの孝行息子が何故このような残忍な犯行に及んだのか想像ができなかった。

ところが捜査を開始してから、この親子の「仲の良い」という世間の評判は外観だけで、実は大きな歪があったことが判明した。母親は息子に対して叱責・罵倒を繰り返していたのだ。

−歪−
奥野は、大正14年に風呂屋と雑貨商を営む裕福な家庭に生まれた。一人息子で、幼児の時から母親に対しては従順で反抗したことは一度もなかった。しかし、それは素直さからではなく、気が小さい・優柔不断の性格からきているものであった。戦後、強盗殺人の共犯として懲役15年の判決で大阪刑務所に服役。昭和32年8月に仮出所した。

母親の元に帰った奥野は、母親が始めた漬物屋の商売を手伝わされ昼は鉄工所へ勤めたが、漬物屋の商売がうまく行かず借金が増えていった。店を手放すことを再三母親に持ちかけていたが、戦前から「風呂屋の奥さん」と近所で言われていた見栄っ張りの母親は「夜逃げするようなことは、できるか」と突っぱねる。生まれつき母親に逆らえない奥野は、ついに母親の殺害を考えるようになる。

こうして事件は、昭和35年6月8日に実行された。行李に入れて遺棄しようとしたが胴体から足にかけてはみ出してしまう。このため翌日、鋸で足を切断しバラバラにして遺棄したのである。

昭和37年7月17日最高裁は奥野に死刑を言い渡した。昭和42年11月16日に大阪拘置所で死刑執行。享年43歳であった。


ホーム

inserted by FC2 system