富士航空・大分空港墜落事故


−経緯−
昭和39年2月27日午後3時30分頃、鹿児島空港発大分空港行きの富士航空902便のコンベア240型プロペラ双発機が大分空港で着陸に失敗し空港東側の大分川の河原に墜落、炎上した。この墜落で別府温泉に向かう団体客16人と客室乗務員2人の18人が焼死し、機長ら乗務員3人と乗客19人が重軽傷を負った。

−原因−
大分警察署と運輸省は事故調査委員会を発足し事故の原因究明に乗り出した。902便は大分空港への着陸アプローチまでは正常であったが、着陸後にプロペラのリバース(プロペラの角度を変えて推進力を逆に働かせる機能=ジェットエンジンで言えば逆噴射)や非常ブレーキ操作の不適切か機械の欠陥に問題があったと推定したが、最終的な原因究明には至らなかった。

−中小航空会社の苦悩−
この頃、高度経済成長のお陰で都会の人達もさることながら地方の人達もこぞって旅行に出かける機会が多くなった。特に航空機での旅は一部の特権階級から庶民にも広がりをみせて第一次「空の旅ブーム」の始まりであった。

一方、航空会社では優秀なパイロットの争奪戦が繰り広げられて中小航空会社から大手航空会社にヘッドハンティングされて富士航空、日東航空、藤田航空などの中堅航空会社では運営に苦慮していた。また、大手航空会社と比較して機体の古さや待遇の悪さで乗務員のモチベーションも低下気味だった。

富士航空は、これらの諸問題を解決するため日東航空と北日本航空とともに3社合併を決定。4月1日から「日本国内航空(後の東亜国内航空/日本エアシステム)」として新たな第一歩を歩む矢先の事故であった。尚、その第1便が4月16日にまたも大分空港で故障事故をひきおこすという、悲惨なスタートであった。


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