名古屋・保険金殺人事件


−経緯−
昭和54年11月19日午前零時頃、運送業・長谷川敏彦(旧姓・竹内、当時32歳)は従業員の井田正道(当時37歳)と共謀して同店の客であるAさん(当時20歳)を殺害して保険金を騙取しようと、言葉巧みに夜釣りに誘い出して愛知県武豊町の沖合い1キロメートルの海中で釣り舟から突き落として溺死させた。だが、警察は自殺と断定したため保険金の騙取は失敗した。

さらに長谷川と井田は従業員であるBさん(当時30歳)を同様に保険金騙取目的で殺害を計画。昭和58年1月24日午前零時30分頃、Bさんと井田が京都府加茂町を走行中、一旦停車して休憩した後、井田が「鍵を落とした」と言ってBさんが鍵を探している隙に井田が鉄棒でメッタ打ちして殺害。車ごと谷底に落として事故を装った。警察は事故と断定し長谷川らは保険金2000万円を騙取した。

同年12月25日、長谷川は事業資金のため融資してもらった闇金融業のCさん(当時39歳)から、毎日のように借金返済を迫られていたため、Cさんを殺害することを計画。言葉巧みにハゼ釣りに誘い出し、愛知県半田市の岸壁で隙を見てCさんを2人がかりで鉄棒でメッタ打ちして殺害。遺体に錨を付けて海中に遺棄した。

−被害者の身内が異例の死刑執行取り下げ願い−
Cさんの遺体は、殺害から数日後、海面を浮き沈みしていることろを発見され警察が身元確認を行った。その結果、Cさんから多額の融資を受けていながら返済していない長谷川に容疑がかかり逮捕された。

昭和60年12月2日名古屋地裁は2人に死刑判決を言い渡した。昭和62年3月31日名古屋高裁は一審判決を支持して控訴を棄却。井田は上告せず死刑が確定した。平成5年9月21日最高裁は長谷川の上告を棄却し死刑が確定した。

身内を殺された遺族は犯人に対して極刑を望むのは当然であると思われるのだが、本件で被害者の遺族が「死刑を望まず生きて被害者に償って欲しい」と当時の高村法務大臣に嘆願書を提出した。この遺族は加茂町で殺害されたBさんの実兄であった。

Bさんの兄は、事件が発覚した当時は長谷川等に極刑も当然と思っていた。が時間の経過とともに長谷川からの謝罪の手紙を読み極刑だけが罪の償いではないと思うようになった。そこで拘置所を訪ねて直接、長谷川に面会した。その後の文通などで長谷川の謝罪の気持ちを受け入れられるようになったという。だが、Bさんの兄の願いも虚しく長谷川は平成13年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(共犯の井田は平成10年11月19日死刑執行)となった。


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