大阪電解事件


−経緯−
昭和49年7月10日、大阪電解株式会社運転手・出口秀夫(当時51歳)と洗車業・坂口徹(当時37歳)の2人は出口の勤務先のA専務(当時63歳)を殺害して金員を強奪することを計画、大阪府内で同専務を車に誘い込んで絞殺した。その後、大阪の埋立地に死体を遺棄した。当初2人の計画では、専務の小切手を奪って換金することを狙ったが事件が即日ニュースになり失敗した。

出口は犯行翌日も普段どおりに出社した。会社では専務の失踪で大騒ぎとなったが、専務の長男が「行方不明の情報協力」の新聞広告を掲載したいとの要求に関して出口は長男と同行して新聞店に訪問した。

同年10月3日、2人は同社のC経理課長を殺害して同社の小切手を強奪して換金することを計画。専務殺害と同様の手口でC課長を車に誘い出し絞殺した。この時、C課長は「出口君、やっぱり君やったんか」、「金なら300万でも500万でも出すから命だけは助けてくれ」と哀願したが、2人は冷酷に「おまえさんには死んでもらうんや」と言った。

C課長の殺害後、C課長宅に同人が出張するなどと偽装電話をしたりアリバイ工作を行った。また、C課長を最後に目撃した人としてテレビ出演するなど犯行後も何ら後悔することなく平然としていた。

−なすりあい−
捜査本部は出口の周辺で勤務先の上司が失踪後殺害されていること、前科があることなどから出口に事情聴取し犯行を認めたため殺人容疑で逮捕した。出口の自供から共犯の坂口も指名手配され後日逮捕された。

2人は服役中に知り合い、出口は子供にスナックでももたせてあげたい、坂口は交遊に浪費して洗車業が芳しくないということから出所後、出口の勤務先から金員を強奪することを計画した。

公判中、2人は主犯を互いになすりあい自分は誘われただけと主張した。だが、昭和53年2月23日大阪地裁は2人に死刑を言い渡した。昭和55年11月28日大阪高裁は2人の控訴棄却。昭和59年4月27日最高裁は上告を棄却して出口、坂口に死刑が確定した。平成5年11月26日大阪拘置所で2人の死刑執行。出口享年70歳、坂口享年56歳。


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