横浜・同僚母子殺人事件


−経緯−

昭和42年3月15日午前11時頃、神奈川県横浜市戸塚区のアパートに住むA子さん(当時25歳)宅に電工技師・堀越喜代八(当時28歳)が訪ねた。A子さんは現在ダム建設工事でマレーシアに赴任している夫の友人である堀越を快く部屋に迎えた。

A子さんと夫はベトナムで知り合った。夫はベトナムのダム工事で電工技師として赴任、A子さんは看護婦としてダム建設現場の診療所に勤務していた。この関係で堀越も知り合い3人は帰国後も仲が良い交際を続けていた。

が、犯行の3月15日堀越はA子さん宅の部屋に上がると突然A子さんの首をそばにあったスカーフで絞殺。1歳になる赤子も同様に絞殺した。その後、指紋を拭きガスを放出して「放火自殺」を仕組んでタンスから郵便通帳を奪って逃走した。堀越は途中で近くの郵便局から4万9900円を引き出した。

事件は夕方になって、同アパート隣部屋の主婦の通報で発覚した。この主婦の証言で、午前11時30分頃にA子さんの悲鳴が1回聞こえたこと、その後、夕方まで一切隣から物音が聞こえないため不審を抱いた主婦が警察に通報したのだった。

−動機は結納金−
事件当日の午後7時頃、堀越は千葉県にある婚約者のB子さん宅へ訪問していた。目的は結納金8万円を渡すためだった。実は、堀越は犯行前日に酒を飲んで結納金を使い果たしてしまった。困った堀越は友人であり同僚でもあるA子さんの夫が海外赴任中であることを思いつき、A子さんを殺害して金員を強奪することを考え犯行に至ったのだった。

堀越はB子さん宅で本事件のニュースをテレビで見た後、B子さん宅をあとにしてから行方が分からなくなった。一方、捜査本部は19日になって郵便局の払い戻し伝票に付いていた指紋や局員が覚えていた犯人の容貌から堀越を割り出し21日には全国指名手配した。22日夕方、堀越はB子さんと伊豆・下田の旅館で投宿しているところを逮捕された。昭和46年10月、最高裁は堀越の上告を棄却して死刑が確定した。昭和50年12月7日、東京拘置所で死刑執行(享年37歳)。


ホーム

inserted by FC2 system