東村山署警察官殺人事件


−経緯−

昭和46年10月18日午前2時20分頃、東京都東村山市萩山町3丁目の東村山署八坂派出所で勤務中の蓼沼定雄巡査部長(当時55歳)に無職の田中重穂(当時51歳)が「派出所の裏側の雑木林に不審なアベックがいる」と届け出た。

そこで蓼沼巡査部長は田中に案内させて裏側の雑木林に向かった。その隙に田中は隠し持っていた鉄製角棒で蓼沼巡査部長の背後から30数回強打しナイフで胸部を刺した。この時、蓼沼巡査部長の悲鳴を聞いた近所の男性が駆けつけ田中を取り押さえたが、蓼沼巡査部長はすでに絶命していた。

−動機−
田中は犯行の1ヶ月前に上司とのトラブルから印刷会社を辞職し金に困っていた一方、妻や子供達から「浴室のある家に住みたい」と常日頃せがまれていた。そこで、田中は大物政治家の子女を誘拐して身代金を奪って住宅購入資金にあてようと計画した。

誘拐には子女に近づいて信用させたり、脅したりするには警察手帳やピストルが必要だと思い警察官襲撃の機会をうかがっていた。犯行数日前にも別の派出所で同様の手口で警官に「不審者がいる」と届け出たが相手にされなかった。

更に田中は、1人で勤務している人気のない派出所を自転車に乗って探し回った。犯行当日、八坂派出所の裏側が雑木林であること、人気がないこと、警察官が1人で勤務していたことで絶好の機会と思い犯行に至った。

昭和47年11月18日東京地裁八王子支部は「犯行は計画的で残忍。極めて反社会的な行為」として田中に死刑を言い渡した。昭和51年7月7日東京高裁は田中の控訴を棄却。昭和62年10月23日最高裁は田中の控訴を棄却して死刑が確定した。平成7年7月26日東京拘置所で死刑が執行された。


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