福岡病院長バラバラ殺人事件


−経緯−

昭和54年11月4日夜、福岡県北九州市・小倉北区の病院経営で同病院長の津田薫さん(当時61歳)は、交友関係である釣具店経営・杉本嘉昭(当時33歳)とスナック経営・横山一美(当時27歳)から「歌手の小柳ルミ子」に会わせてやると横山のスナックに呼び出された。

津田さんは同市内で171床をもつ内・外科病院の経営やマンション経営も手がけ昭和53年に同市高額所得番付で3位にランクされる資産家であった。このような背景から同市でも名士だった津田さんは仕事以外での付き合いも多く、夜の繁華街では「芸能人好きの病院長」として有名であった。

一方、杉本、横山の2人は互いに経営する店は負債はあったものの順調であった。しかし、毎晩のように繁華街を飲み歩き遊興費に多額の金を消費したり高級車を買い換えたりと実収入をはるかに超えた派手な生活を送っていた。借金返済に追い立てられるようになると、杉本らは津田さんを呼び出して監禁し家族から金を奪うことを計画した。

11月4日、小柳ルミ子に会えるとばかり思い込んで横山のスナックに訪ねてきた津田さんを杉本は匕首(あいくち)で切りつけ重傷を負わせた。津田さんは血まみれになりながら杉本らに「傷が肺に達しているから帰してくれ、医者を呼んでくれ」と必死に哀願した。しかし、杉本らは津田さんの哀願に耳を貸すどころか懐から財布を取り出し現金95万円を強取した。

さらに杉本と横山は瀕死の状態である津田さんに妻へ電話をかけさせて現金を持ってくるように脅迫した。電話をすれば無事に家に帰すという言葉を信じて津田さんは妻に「高い買い物をした。2000万円をホテルTに届けて欲しい」と電話した。家族がTホテルのフロントに現金2000万円を預けたのが翌5日。杉本らが同ホテルに受け取りに行ったがフロントから「預り証が無ければ渡せない」と拒否されたため奪取を断念。

同月6日、津田さんをモーテルに搬送し殺害。死体をバラバラに切断して同夜10時過ぎの小倉港発松山港行きフェリーに運んで深夜、同船から大分県姫島沖に遺棄した。11月15日、切断された胴体がノリ網に引っかかっているところを漁師に発見され指紋紹介から津田病院長と判明。交友関係から杉本らが捜査線上に浮上、昭和55年2月29日2人を別件の恐喝未遂容疑で逮捕した。3月9日横山の犯行自供を引き出し全容が明らかになった。

−バラバラ殺人の残忍さ−
津田さんの右足は事件から8ヵ月後の昭和55年7月30日に大分県国東東郡竹田津沖で、頭蓋骨は昭和57年2月15日に同県西国東郡長崎鼻沖の海中からそれぞれ引き上げられている。バラバラ殺人の残忍さが改めて認識された事件だった。

昭和57年3月16日福岡地裁小倉支部は2人に求刑どおり死刑を言い渡した。昭和59年3月14日福岡高裁は一審を支持、昭和61年4月15日最高裁は上告を棄却して杉本と横山の死刑が確定した。平成8年7月11日、福岡拘置所で2人の死刑執行。杉本は享年49歳、横山は享年43歳であった。


ホーム

inserted by FC2 system