本島長崎市長・銃撃事件


−経緯−
平成2年1月18日午後3時頃、長崎市長の本島等さん(当時67歳)が市役所正面から公用車に乗り込もうとした時、長崎市に本拠地を置く右翼団体所属の田尻和美(当時40歳)が至近距離からピストルを撃った。ピストルの乾いた音が響いたと同時に本島市長は倒れ病院に搬送された。田尻は周辺にいた市関係者らが取り押さえ警察に引き渡された。

病院に搬送された本島市長は緊急手術を施された。22口径の銃弾は右胸を貫通、致命傷には至らなかったが3ヶ月の重傷を負った。本島市長は「戦争は天皇に責任がある」と発言。それ以来、市長への嫌がらせや脅迫が続いており長崎県警は100人体制で警戒していたが、その警戒を解除した矢先のテロだった。

−市長の発言−
本島市長は隠れキリシタンの末裔で代々の熱心なクリスチャンであった。昭和63年12月の定例市議会で、共産党員の質問に対して「戦後43年経って、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います・・・私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦争責任はあると、私は思います」と発言。同日の記者会見でも「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦も広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の記述から見ても明らかです」と重ねて発言した。

本島市長の発言は国民の間に賛否両論の意見が沸騰。本島市長も「覚悟の発言です」と発言の撤回は一切ないことを示唆した。これに対して、全国の右翼団体が抗議活動を始めた。長崎市に街宣車が終結し本島市長に抗議声明やビラを撒いたりと物騒な状態となった。

そんな中、地元に本拠を置く右翼団体所属の田尻がピストルを隠し持って市長が市役所から出てくるところを狙い打ちした。田尻は警察の取調べで「昭和天皇には戦争責任がある」との発言に対して憤慨、反発のため銃撃したことを自供した。平成12年刑期満了で出所。同右翼団体の創始者と養子縁組してNo2の幹部となっている。


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