埼玉9人殺人鬼事件


−経緯−
昭和41年9月22日午前6時15分頃、住所不定で無職の中島一夫(当時33歳)は埼玉県の春日部署に「9月16日の粕壁町(現、春日部市)で起きた強盗殺人事件の犯人は自分だ」と電話をかけてきた。警察は、ただちに教えられた場所に急行し、強盗殺人容疑で逮捕した。

春日部・強盗殺人事件
事件は、9月16日の未明に発生した。
前科5犯の中島は9月1日に長野刑務所を出所したばかりだった。東京都新宿生まれの中島は歌舞伎町でブラブラしいたが次第に金が無くなり強盗することを計画した。大宮競輪で無一文になった中島は、春日部の閑静な住宅街で帽子製造会社勤務のAさん(当時34歳)宅へ押入った。

中島は、Aさんと妻(当時30歳)、長男(当時5歳)、二男(生後11ヶ月)の4人の首を締めて布団巻にした。その後、家中を物色して現金2万円を奪って逃走した。

朝の10時になって、Aさんが無断欠勤しているのを不審に思った同僚がAさん宅を訪ねた。すると奥の6畳間でAさんと妻、二男が布団に巻かれて死亡していて、そばで泣きじゃくる長男を発見した。通報で駆けつけた春日部署は直ちに現場検証と付近の聞き込みを捜査した。

−田無・強盗放火殺人事件−
翌日の17日になって、東京・田無署から春日部署に連絡が入った。それによると、10日ほど前の9月4日、東京都田無町(現、西東京市)のタクシー運転手Bさん(当時48歳)宅に強盗が押入り、1人で留守番していたBさんを布団巻にして殺害し放火したあと逃走した事件で、「布団巻」に共通点があるとして情報交換を要請するものだった。

春日部署と田無署は合同会議を実施して犯人検挙に全力を傾けたが、芳しい成果は得られなかった。捜査は長期化するかと思われた矢先、前述の通り9月22日に犯人の中島から自首するための電話があったのだった。

中島は、「Bさんを殺害した後、現金4万円余りを奪った。その後、風呂を沸かしてのんびりと入浴し冷蔵庫からビールを取り出して飲んで、夜が明けてから放火して逃走した」と警察に供述。春日部の事件も素直に犯行を認めた。

−9人殺害は幻か?−
警察は、中島の余罪追及の取り調べを続けた。その結果、9年前におこった埼玉県坂戸町(現、坂戸市)の自転車商一家5人殺害事件は自分の犯行であることを供述した。これが、本当ならば中島は合計9人殺しの殺人鬼ということになる。だが、警察は立件が困難であると判断し、春日部と田無の4人殺害で起訴した。

中島は昭和44年に浦和地裁で死刑を言い渡され上告せず確定。昭和48年10月12日東京拘置所で死刑執行(享年40歳)。


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