市原両親殺人事件


−経緯−

昭和49年10月30日午後5時20分頃、千葉県市原市のドライブイン従業員・佐々木哲也(当時21歳)は交際しているソープランド嬢との結婚を両親に反対されたことから激怒、父親のAさん(当時59歳)と母親のBさん(当時48歳)を登山ナイフで滅多突きにして殺害した。

哲也は両親殺害後、金庫から現金を窃取し遺体を浴槽に隠した。2日後の11月1日、車のホイールを重り代わりにして死体に取り付けて同市五井海岸の養老川河口から投棄した。その後、哲也はソープランド嬢と合流し飲食店を飲み歩いたりモーテルで情交した。

哲也の両親は苦労を重ねてタイヤ修理業とドライブインを経営。仕事も順調で経済的には裕福であった。一方、息子の哲也は地元の高校を優秀な成績で卒業し父親の経営するドライブインに就職。卒業間もなく素行不良の交遊を続けているうち、内縁の夫のあるソープランド嬢との交際に身を沈め生活の破綻をきたしていた。

我が子の将来を案じた両親は哲也へ毎日のように交際をやめるよう説得していた。が、ソープランド嬢との交際で夢中になっていた哲也は説得に応じるどころか、次第に結婚することを考えはじめた。

犯行当日も父親から「ソープランド嬢との結婚は認める訳にはいかない」旨の話がでた途端、哲也は父親に対して11ヶ所に及ぶ刺切創を与え、止めに入った母親には20ヵ所に及ぶ刺切創を与えて即死させた。

−無実の訴え−
両親の遺体は犯行から10日後に海面から浮き沈みしているところを発見された。千葉県警が身元を確認し哲也の両親であることを確認すると共に哲也を殺人及び遺体遺棄容疑で逮捕した。

逮捕された哲也は「父は母によって殺害され、母は第三者によって殺害された」として無実を訴えた。裁判においても、この訴えが争点となった。

犯行日とされる10月30日午後5時20分頃、隣家の人が「ギャー」という悲鳴と椅子などが倒れる音を聞いている。一方、隣の食堂の従業員は、哲也の母親が午後7時から7時30分の間に米飯を買いに来たと証言した。この証言は極めて具体的で、@食堂の主人が床屋に行っている時、Aテレビで欽ちゃん(萩本欽一)の司会番組をやっている時、B給料日の前日だった、C雨が降っていた、などである。

犯行当日の10月30日は午後7時から7時30分に萩本欽一出演の「日本一のおかあさん」という番組が放映されていた。だが、検察側は前日29日の午後7時30分から8時までの同じく萩本欽一出演の「55号決定版」が放映されていた時に哲也の母親は米飯を買いに来たのであり、店員の勘違いであると主張した。

千葉地方裁判所は昭和59年3月15日、検察側の主張を認めて哲也に死刑を言い渡した。昭和61年8月29日、東京高裁は哲也の控訴棄却。平成4年1月30日、最高裁は哲也の上告を棄却して死刑が確定した。哲也は無実を訴えて再審請求中(平成17年1月現在)。


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