ホテル日本閣殺人事件


−経緯−

昭和36年2月19日栃木県警大田原署は塩原温泉郷のホテル「日本閣」の経営者・生方夫婦が失踪した事件で、埼玉県大里郡玉井村(現、熊谷市)出身の小林カウ(当時50歳)と共犯の大貫光吉(当時36歳)を逮捕した。

カウは貧農の8人兄弟の次女で、小学校を出てから近くの農家の手伝いをした後、東京でお手伝いの仕事をしていた。22歳の時に、小林秀之助と見合い結婚したが性格の不一致で結婚生活はうまくいっていなかった。戦後になって玉井村で闇ブローカを始めた時、カウの天性が萌芽しだした。物を売る才覚と物を仕入れる際に代金の替わりに自分の体で払うなど好色の面も芽生え金を貯めこんでいった。

この頃、生涯で初めて恋をしたのが年下の警察官であった。秀之助が急死したあと、この若い警察官と同棲。彼に対して何でも買ってやることに喜びを見出していたが2年後に逃げられる。その後、カウは塩原温泉で、みやげ物店と食堂を経営していたが、「日本閣」が売りにだされるという噂を聞きつけ、日本閣の経営者・生方鎌輔(当時52歳)に接触。生方は、「自分の妻・ウメと離縁する金50万円を貸してもらったらカウと結婚する」という条件を呈示する。元来、金を貯めることだけが生きがいだったカウは50万円が惜しいと考え、ウメを殺害すれば一銭も使わず「日本閣」を自分の物にできると考えた。早速、生方と相談し殺人の実行犯として温泉街の雑用をしていた住所不定の大貫に2万円とカウの体を条件に実行させた。

殺害後、ウメの死体の前でこの3人は祝宴をしたというのだから凄まじい。その後、カウは大貫と再度共謀し、今度は生方も殺害した。カウは念願のホテル日本閣の経営者として居座るのである。ところが、「日本閣」は既に経営破綻しており競売にかけられることを知った。新館建設に300万円も掛けていたカウは唖然とした。

−捜査−
ホテルの経営者が相次いで失踪したことに疑問をもった栃木県大田原署は、昭和36年2月19日カウと大貫を厳しく取り調べ、遂に犯行を自供した。また、9年前の夫である小林秀之助の急死も青酸カリで毒殺したことも自供した。カウは、3人の殺人を犯してもなお、出所できると考えていた様子でホテルの改築計画を楽しみにしていたという。また、早く出所できるよう捜査官に色目やスキンシップをしながら、金歯が覗く口を開けて目一杯愛嬌のある笑顔をしていたという。

彼女のこうした努力も空しく、昭和41年7月14日最高裁はカウに死刑を言い渡した。昭和45年6月11日に女性としては戦後最初の死刑執行で生涯を閉じた。享年61歳であった。尚、共犯の大貫も同日死刑執行になっている。


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