克美茂・愛人殺害事件


−経緯−
昭和51年5月6日歌手の克美茂(当時36歳)は愛人の岡田祐子さん(当時35歳)を同棲中のマンションで絞殺した。克美は、昭和36年「霧の中のジェニー」でデビューし昭和39年1月「さすらい」が大ヒットして一躍スターとなった。またアニメ「8マン」の主題歌を歌った歌手としても有名だった。が、その人気も長くは続かず2年後には下降線をたどった。

テレビから姿は消え、地方のキャバレーやホテルなどが仕事の中心となったが、スター生活の味を覚えてしまった克美は、この生活に満足ができなかった。昭和46年の暮れ、克美は妻子ある不遇の歌手、岡田さんは離婚寸前の銀座のホステスとして知り合った。克美に惚れた岡田さんは昭和47年2月に夫と離婚し克美に次々にできる借金返済のため馬車馬のように働いた。

同年8月、岡田さんは収入をあげるため「ソープランド」で働くようになった。それも、克美からは「妻との関係は冷え切っている」「借金返済ができたら結婚しよう」という言葉を信じて、自分の生活は質素にして克美のために数千万円を稼ぎ貢いでいた。が、克美にとって岡田さんは便利な金ヅルでしかなかった。形ばかりの結婚式をあげたが、その後も妻とは離婚せず二重生活を続けていた。

−再起−
昭和51年春、克美に転機が訪れた。10年ぶりの新曲「おもいやり」で再起をかける克美は次第に岡田さんの存在が邪魔になってきた。犯行の5月6日は「おもいやり」のキャンペーンで北海道へ巡業する日であった。岡田さんは、一緒にキャンペーンに同行すると言い張った。克美は、同行すれば確実にスキャンダルとなり二度とスポットライトを浴びることができなくなると思い岡田さんを絞殺したのだった。

死体の隠し場所に困った克美は、車のトランクに岡田さんの死体を隠し羽田空港に向かった。空港の駐車場に車を置いて札幌行きの飛行機に乗り込んだ。

克美が札幌に到着し仕事を始めている頃、羽田空港の警備員が駐車中の車のトランクから異臭がする不審な車を発見し警察へ通報した。警察が車のトランクを開けたところ岡田さんの死体を発見。直ちに、車の所有者を割り出して克美を逮捕した。

昭和51年8月23日東京地裁は「女に結婚を迫り続けられた妻子ある男が、思い余って殺害してしまった」という同情もあり検察側の求刑より軽い懲役10年を言い渡して確定。大阪刑務所に服役し昭和58年10月に仮出所した。


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