開成高校・息子殺人事件


−経緯−

昭和52年10月30日未明、飲食店経営のA(当時47歳)が東京の名門・開成高校に通う1人息子のB少年(当時16歳)を絞殺した。その後、Aは妻(当時44歳)と自殺するため浜名湖へ行ったが目的を果たせず妻に付き添われて31日、警察に自首した。

警察の事情聴取でB少年の凄まじい家庭内暴力が明るみになった。B少年は小学校時代は常にトップで名門開成中学にも上位で合格した。試験で満点を取ると駆け足で自宅に戻り両親の喜ぶ顔が唯一の楽しみであった。反面、成績が下がれば《絶望の境地》であった。

開成高校へ進学した頃からB少年に変化が出始めた。学校では「おとなしく、問題が見当たらない良い息子」が帰宅すると「人を殺したい気持ちを我慢してきた」と泣き叫び、手当たり次第に物を投げたり、部屋中に水を撒いたり、布団を池に投げ入れたり、祖母・母を殴る蹴るの暴行を連日繰り返した。

近所でも、A宅から連日泣き叫ぶ声や物が破壊される音が聞こえ苦情が出ていた。事件の直前にはAも息子から暴行を受けて、現場に急行した警察にB少年は精神病院に収容させられた。その後、精神科に通いカウンセリングや薬療法など様々な努力を試みたが成果はなく「医者から完治は無理」と宣告され、Aは相当のショックを受けた。

−試験が全て−
思い悩んだAは30日の未明、寝入っているB少年の首に手をかけて絞殺した。息子は、殺される前日の夜「青春を返せ!人生を返せ!俺をメチャクチャにしたのはおまえらだ」と母親を追い回したという。B少年は、勉強以外に趣味は無く、友人もない内向的な少年だった。試験=人生そのものの構図が、一度成績が下がると絶望となってしまう偏向的な人格に育ってしまった。

昭和53年2月16日東京地裁はAに対して懲役3年・執行猶予4年の判決を下した。これに対して、検察側は「暴力の原因は父母にある」として控訴したが東京高裁で棄却され一審判決が確定した。母親は、7月2日に「主因は自分の教育にある」と遺書を残して息子の部屋で自殺した。


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