三鷹・牟札事件


−経緯−
昭和25年12月20日、警視庁は家財道具を搾取した容疑で東京・世田谷の商事会社社長・佐藤誠(当時42歳)を逮捕した。この逮捕から8ヶ月前の同年4月頃、東京・渋谷区神南の一軒屋に一人で住んでいた祝田玉恵さん(当時21歳)が、土地家屋や家財道具を売り払い失踪した。不審を抱いた母親は娘の行方を捜索するとともに警察に届け出た。

警察は事件に巻き込まれた可能性もあるとして玉恵さんの周辺捜査を開始した。その結果、12月20日に玉恵さんの土地家屋ならびに家財の売買にかかわっていた佐藤を逮捕したのだった。警察の取調べに佐藤は「土地家屋などの売買は、商事会社の高橋三夫と名乗る男と、高橋の秘書で原保という男に依頼されたまでのこと。家財道具を古道具屋へ売ったのは確かに私ですが、全ての代金は2人に渡しました」と供述した。これが認められて佐藤は釈放された。だが、高橋、原保の行方は掴めず捜査は打ち切られた。

諦めることができない母親は弁護士を通じて警視庁捜査1課へ直訴して再捜査が開始された。その結果、佐藤宅に出入りしていた宮川澄男(仮名、当時22歳)が玉恵さんの家財道具を売るとき手伝っていたことが判明。9月25日、家財道具搾取の容疑で宮川を逮捕した。

宮川は取り調べで以下の供述をした。
@同年2月7日、佐藤の命令で田中という男と車を盗んだことがある。
A佐藤と台湾人(同年6月病死)と3人で玉恵さんを殺害、三鷹市牟札に埋めた。主犯は佐藤で、自分はそそのかされてやった。

10月3日捜査1課は、@の窃盗容疑で佐藤を逮捕した。佐藤は犯行を否認し無実を訴えた。だが、宮川のAの自白に基づいて牟札を捜索した結果、玉恵さんらしき白骨死体を発見したため佐藤、宮川を殺人罪で再逮捕した。

−冤罪?−
昭和29年10月25日、東京地裁は佐藤に死刑、宮川に懲役10年を言い渡した。宮川は控訴せず確定。佐藤は控訴・上告して無罪を主張したが昭和33年8月5日最高裁は上告棄却で佐藤に死刑が確定した。

この事件は、宮川の自白だけで物的証拠が無い上に宮川の自白が変転著しく不審な点が多々あった。まず玉恵さんの殺害方法で宮川は扼殺と毒殺と場面によって異なる供述をしている。一方、牟札で発見された白骨死体は頭蓋骨に鈍器で殴られたように陥没していた。また、下着には血痕のシミが付着していた。さらに、宮川は拘置中の同房者に「玉恵を刃物で刺し殺した」と話していたことが記録に残されていた。

当局も重大なミスを犯していた。捜査鑑定の過程で頭蓋骨を紛失。下着は裁判所で処分してしまうという実にズサンな処置であった。

佐藤は、無実を訴え再審請求を続けていたが、平成元年10月27日に獄中37年にして獄病死(享年81歳)した。死刑囚の拘置期間は「帝銀事件」の平沢貞通に次ぐものとなった。


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