真狩村・一家6人殺害事件


−経緯−
昭和34年6月4日午後11時頃、北海道真狩村の農業・横内元春(当時48歳)方の長女・則子さん(当時17歳)が夜間高校から帰宅したところ、玄関口で当家の農業手伝い・佐山久(仮名・当時20歳)が血まみれで倒れていた。驚いて長女が家にあがると、居間に父親の元春さんと祖父(当時76歳)が作業着のままで血まみれで死亡していた。また、寝巻き姿の母(当時42歳)と三女(当時9歳)、四女(当時4歳)と四男(当時6歳)も寝室で顔や頭を鉈でメッタ打ちされて死亡していた。

2階で寝ていて助かった長男(当時16歳)と長女は隣家に駆け込み警察に通報した。現場に急行した警察は、使用人である佐山が軽傷であったため事情聴取した。佐山は「母屋から離れた飼育小屋で飼料をやっていた時、母屋から子供の悲鳴が聞こえたので駆けつけると青いジャンパーを着た若い男に突然後頭部を打たれて気を失った」と証言した。

警察は、この証言を基に不審人物の洗い出しと山狩りを行った。その一方、佐山の証言に曖昧な点や傷の位置に疑問な点があることから更に事情聴取したところ5日午後、佐川は突然「取り返しのつかないことをしてしまった」と犯行を自供した。

−動機−
佐山は横内家からも程遠くないところに生まれた。男ばかりの4人兄弟の次男で、父親は目が不自由で母親は佐山が小学1年の時に病死しており愛情とともに経済的にも恵まれない環境で育った。

昭和30年に中学を卒業して横内家の作男として住み込みを始めた。3年が経ち、主人の元春さんが「私も年だし、ゆくゆくは佐山を養子にして分家にさせてやる」と本人や周囲に話をするようになった。これを聞いた佐山は期待を膨らませていった。

が、佐山は「そのうち養子にと言いながら入籍はしてくれず、一家とは別待遇で、下男同様にただ働きをさせる横内家が憎い」と思うようになる。一家を殺害しようと決意したのは事件の3日前からで、「今夜こそ」と鉈を持って茶の間に侵入、勉強していた三女を皮切りに次々と襲撃した。学校に行っていた長女、2階で寝ていた長男、病気入院していた次男、親類の家に外泊中の三男が難を逃れた。

昭和35年4月13日札幌地裁小樽支部は佐山に無期懲役を言い渡した。これに対して検察側は量刑不当として控訴したが、精神鑑定で「周期的不機嫌症に基づく心神耗弱」という結果が影響し昭和37年11月27日札幌高裁は検察の控訴を棄却して佐山の無期懲役が確定した。


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