佐賀・バスジャック事件(ネオむぎ茶事件)


−経緯−

平成12年5月3日午後1時35分頃、佐賀発−福岡行きの西鉄高速バスが無職の少年A(当時17歳)に乗っ取られた。Aは刃渡り40センチの牛刀を持ち平野忠運転手(当時57歳)に「インターを降りずまっすぐ行け」と指示。22人の乗客には「おとなしくしろ、カーテンを閉めろ」などと指示し、1人で乗車していた小学校1年の女子を運転席の真後ろに移動させAの横に座らせた。

走行途中、Aは34歳の女性に牛刀で切りつけ4週間の怪我を負わせた。倒れた女性に「おばさん、生きているか」と声をかけ、倒れている女性を蹴り、他の乗客が持っていたカメラを奪って撮影した。

大宰府IC(本来はここで降りる)を過ぎ、新門司IC付近で女性客がトイレに行きたいとAに訴えた。Aは平野運転手に路肩へ停車することを指示し女性がバスから降りた。この隙に女性が非常電話で「ハイジャック」されていることを連絡。道路公団は警察に通報し福岡県警と進行方向にある山口県警が緊急配備の体制に入った。

午後3時30分頃、すでにバスは九州道から山陽道に入っていた。その間、乗客の塚本達子さん(当時68歳)はAから牛刀で切りつけられて失血死したのをはじめ、バスの窓から飛び降りた男女2名が右足を骨折するなど重傷を負った。

午後10時30分過ぎ、小谷サービスエリアに着いたバスは、途中で部分的に人質を解放。最終的に小学校1年の女子を含めて女性9人、平野運転手の計10人が人質としてバスに残った。

翌日の4日午前5時、人質の体力が限界とみた警察は機動隊に強行突入を命令。機動隊はAと揉み合いながらも身柄を拘束し現行犯で逮捕。人質10人を無事救出した。

−動機とネオむぎ茶−
Aは小・中学校ではおとなしく目立たない子供だった。このため、いじめを受けていた。中学生の時、同級生から筆箱を取り上げられ「返して欲しかったら校舎2階から飛び降りろ」と言われ、飛び降りたAは重傷を負った。

高校に進学しても目立たない存在で僅か9日間登校した後、登校拒否。1年後の平成11年5月に退学している。その後、自宅に引篭もり状態で、父親に買ってもらったパソコンでインターネットすることが唯一の楽しみとなった。

この頃から家庭内暴力や意味不明な言動が目立つ為、両親はAを療養所の管理病棟に入院させた。カウンセラーと医師が共同でAに対する矯正を図ったが、一向に改善はしなかった。

外泊許可が出て自宅に戻ると、Aは早速インターネットに夢中になる。「2ちゃんねる」などの掲示板に犯行を予告する意味不明な書き込みを《ネオむぎ茶》というハンドルネームで行っている。また、犯行の2ヶ月前に「革命を決行す!」「我に栄光あれ!」などと記載した手紙を総理大臣、警察庁長官、文部大臣、NHK会長に郵送していた。

Aは逮捕後、母校の中学校を襲撃して各教室に居る生徒を刺すつもりだったが、5月3日は休校(ゴールデンウィーク)だったため計画を変更してバスをハイジャックしたと供述した。その後の取調べで「自分は正常なのに病院に入れられた」「事件を起こして親を苦しめたかった」などと言っている。さらに精神鑑定で「もう1人の自分が、皆殺しにしろ・・・と命令する」などと多重人格障害の片鱗も見せている。

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犯行直前の「犯行予告」声明か?


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