サリドマイド事件


−経緯−
昭和37年5月17日、朝日新聞が「西ドイツでサリドマイドの副作用が判明したので、日本のメーカ大日本製薬も自主的に出荷停止に踏み切った」という記事を掲載した。サリドマイド(N−フタリル・グルタミン酸イミド)は「妊婦のつわりを緩和し安眠を約束する」というキャッチコピーで、つわりに悩む妊婦に愛用されていた。

サリドマイドは昭和33年に西ドイツで開発され、副作用が少なく効果の持続時間が長い薬として注目を浴び、日本では大日本製薬が製造、販売を行ってきた。

ところが、昭和36年11月に西ドイツの小児科医・レンツ博士が「サリドマイドの副作用で奇形児が生まれる可能性がある」として警告を発した。これを受けて、西ドイツ、イギリス、スウェーデンなど諸外国は即座に製造中止と製品回収が行われた。

日本は厚生省、大日本製薬ともに「奇形児とサリドマイドの因果関係が明らかでない」との見解で販売中止の措置をとらず、あろうことか厚生省はレンツ警告後にも新たな製造許可を出す始末だった。

大日本製薬は、レンツ警告から一ヶ月後の12月に社員を西ドイツに派遣し情報収集や動物実験を行った。厚生省にも連絡する一方、医師や薬の使用者、薬店など市場関係者には一切何も知らせなかった。

大日本製薬は、それから10ヵ月後の昭和37年5月17日(即ち、新聞発表と同日)、サリドマイド剤である睡眠薬(イソミン)を製造と出荷の中止を決定した。ところが、サリドマイドを応用した胃腸薬(プロバンM)は何ひとつ触れなかった。さらに、この措置は製造と出荷の中止であって、すでに市場に出回っているサリドマイドの回収措置は含まれなかった。その後、市場から回収されるまでに4ヶ月を要した。結局、西ドイツなど諸外国の製造、販売、回収措置から遅れること10ヶ月。この間に服用した妊婦からも奇形児が生まれ被害を大きくした。

−悲劇−
サリドマイドの副作用によって奇形児が生まれたのは、日本では約900人。被害者は指を欠損した軽度の奇形から四肢が欠損する重度の奇形まで個人差があった。また、知能は普通の子供と変らないのに普通学級への入学を拒否されたり差別を受けた。

国と厚生省、大日本製薬は責任を認めないため、被害者とその家族は愛知・京都・東京などで損害賠償請求を始めた。訴訟は昭和49年10月に和解。大日本製薬が賠償金を支払うことになったが、国と厚生省は不問となった。国は実質的に無策だった。

この図式は、後のスモン公害、クロロキン、薬害エイズなどでも同様に国、厚生省、製薬会社など三身一体で庇いあい、国民無視を続けていく。一体厚生省は国民の健康を守るのか不幸にさせるのか魑魅魍魎、奇奇怪怪の団体である。


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