栃木・リンチ殺人事件


−経緯−
平成11年12月2日、栃木県市貝町の山林で日産自動車栃木工場社員・須藤正和さん(当時19歳)が、無職・荻野克美(仮名、当時19歳)、日産自動車栃木工場社員・梅野昭夫(仮名、当時19歳)、無職・村野博夫(仮名、当時19歳)と東京の高校生A(当時16歳)の4人に首を締められて殺害された。4人は須藤さんの遺体を掘った穴に入れてコンクリートを流し込み遺棄した。

荻野は栃木県警に勤務する警察官の次男として出生。祖母に溺愛され甘やかされて育った。小学生の頃から粗暴で通信制の高校を退学後は暴走族に入り恐喝や傷害などで保護観察処分を受けた。

梅野は母子家庭に育った。高校3年の夏頃から暴走族に入り不良仲間とバイクを盗むなど非行を繰り返した。高校卒業後、日産自動車栃木工場に就職。ここで、同期の須藤さんに出会った。

村野は会社員の父親とピアノ教師の母親の長男として出生。比較的裕福な家庭で育った。荻野とは小学校、中学校が同じで、梅野とは中学校で一緒になった。高校に進学したが暴走族に入っていたことが学校にバレて退学処分を受けた。その後、荻野が当時勤めていた会社でとび職をしていたが長続きせず退社していた。その後は、リーダ格の荻野の子分として非行を繰り返していた。

−発端−
荻野は中学、高校時代の級友に恐喝しては金を巻き上げ交遊費に当てていた。体格のいい村野を背後に構えて恐喝すれば相手は大抵恐れて金を出した。平成11年9月23日、荻野は村野と遊ぶ約束をしていたが金が無かった。そこで2人は、誰かを恐喝して金を巻き上げようと思案した結果、梅野を思い出した。梅野は日産自動車に入社後、自動車事故を起こして入院。その後は復職せずブラブラしているとの噂を聞いていた。

荻野と村井はパチンコを興じている梅野を捜しだして借金(恐喝)を申し込んだ。荻野は背後に暴力団が控えていることをチラつかせてサラ金の無人契約機で20万円を引き出させた。これに味をしめた荻野は数日後、梅野に対して再度借金を申し込んだ。

梅野は、このままだと限りなく金を巻き上げられるとみて、日産自動車栃木工場の同期入社の須藤さんを身代わりにしようと思いついた。梅野は荻野に「同僚で須藤というやつは、おとなしそうだから金を貸してくれるさ」と提案した。ここに須藤さんに対するリンチ集団が結成された。

9月29日、梅野は須藤さんを携帯電話で呼び出して「ヤクザの車をぶつけて修理代が要る」と借金を申し込んだ。梅野の背後には強面の荻野と村野が睨みをきかせていた。小さい頃から人に親切で優しかった須藤さんは貯金から7万円を引き出して梅野に渡した。ところが、これだけでは修理代にならないと翌日、サラ金から30万円を引き出させた。3人は逃亡を阻止するためなのか、須藤さんの眉毛をそり落とし頭をスキンヘッドにしてしまった。

−残忍なリンチ−
3人は「大事なカモ」である須藤さんを手放さなかった。荻野は、須藤さんに会社の同僚や先輩に借金申し込みをする電話をかけさせた。須藤さんが断ると殴る蹴るの暴行を加えた。一方、須藤さんは職場から真面目で親切で性格の良い青年として高い評価があった。

このため、会社の同僚や先輩らは切羽詰った須藤さんからの要請を拒否できず、サラ金から借金して須藤さんに金を渡した。勿論、この金は荻野ら3人に渡り交遊費に使いこんだ。結局須藤さんが殺害される2ヶ月間で700万円強を脅し取った。

荻野らは、須藤さんを監禁状態にして栃木県内や東京都内を車で連れまわした。11月20日、渋谷のディスコで高校年のAと知り合い荻野の子分になった。荻野らは、「熱湯コマーシャル」と称してホテルのシャワーを熱湯に調節して全裸の須藤さんに向けてかけた。逃げる須藤さんに殴る蹴るの暴行を加えたり、体中に殺虫剤をかけてライターの火を点けるなど凄まじいリンチを加えていた。

この結果、須藤さんは重度の火傷を負ったが4人は治療するどころか、不愉快になると「熱湯コマーシャルだ!」と言っては連日連夜リンチを行った。

−動かなかった警察−
一方、須藤さんの両親は9月下旬から行方不明になっている息子が方々で借金を重ねて転々としていることに、何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとして栃木県警・石橋署の生活安全課を訪ねた。だが担当官は父親に「息子さんは自発的に仲間と行動しているようなので、捜査する訳にはいかない」などと言って何の手立てもしなかった。

10月19日、両親は再度石橋署を訪ねた。父親は担当官に「無断欠勤したとこがない息子が、10月12日以来ずっと会社に行っていないこと、寮へ戻った形跡がないこと、携帯電話が通じないこと、友人の話では頭を剃られていたこと、息子の背後に複数の男達がいることなどの情報を伝えた。

ところが、その担当官はボールペンをグルグル指で回しながら「でも今回は息子さんが(友人から)金を借りてるんでしょ。悪いのはあなたの息子で、借りたお金は他の仲間に分け与えて、おもしろおかしく遊んでるんじゃないの?警察はね、ちゃんと事件になんないと動けないの」と信じられない言葉を吐いた。

11月25日、須藤さんから両親に金を振り込んで欲しいと電話があった。父親は、入金すると同時に銀行へモニターチェックを依頼した。その日の午後、銀行の支店長から「息子さんらしき人が数人に囲まれて現金を引き落としている映像が見つかりました。息子さんの顔は火傷を負っているようです」と連絡があった。早速、父親は石橋署へ連絡したが「もしかしたら刑事事件になるかもしれないなぁ」と言っただけで何ら手立てはしなかった。

結局、須藤さんが殺される2ヶ月間に両親は10回以上、石橋署をはじめ各警察署に相談したが警察はまったく動かなかった。

−運命の電話−
11月30日、須藤さんの父親は石橋署を再訪問した。例の担当官は『また来たのか』という態度であった。この時、須藤さんの父親の携帯電話が鳴った。電話にでると須藤さん本人だった。この電話で全てを理解してくれると思った父親は、担当官に電話に出てもらった。ところが、この担当官は「石橋署の者だ。早く帰って来い」と非情な言葉をかけた。その直後、電話は切れた。

恐らく、須藤さんは荻野らに囲まれて金の催促を父親に電話するように言われたのであろう。荻野らは「警察に知られた。刑務所に行くのは絶対に嫌だ。殺して埋めるしかない」と梅野と村野に指示した。結局、この2人が殺害の実行班となり12月2日に市貝町の山林で須藤さんをネクタイで絞殺したのだった。

殺害から2日後の12月4日、高校生のAは警視庁・三田署に自首した。動かなかった栃木県警とは異なり、警視庁の対応は迅速だった。Aの供述を基に殺害現場へ直行し、山林に埋められていた須藤さんの遺体を発見した。同月5日、警視庁は東京に潜伏していた荻野、梅野、村野を逮捕した。


須藤さんの両親は「警察の不手際が、息子を死に追いやった」と厳しく批判した。栃木県警は非を認めたものの関係者9人に停職や減給の軽い処分をしたのみ。平成13年1月29日、東京高裁は荻野の控訴を棄却して無期懲役が確定した(BとCは平成12年7月18日に無期懲役、懲役5年〜10年の不定期刑を言い渡され確定していた。Dは少年院送致の保護処分)。

-賠償訴訟-
須藤さんの両親は平成13年4月に県と少年3人(その後、1人は和解)および親を相手取って賠償の提訴をした。裁判では、正和さんが殺害される可能性が客観的に存在したか、県警がその危険性を予見して回避できたかなどが主な争点となった。

平成18年4月12日宇都宮地裁は「被害者の生命、身体に対する危険が切迫していることは認識できた」として、捜査の怠慢を認めたうえで「警察官が警察権を行使しなかったことにより殺害行為を防止できなかった」と、殺人事件との因果関係も認め、県と元少年2人に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いを命じた。


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