九州医大・捕虜生体解剖事件

注)猟奇的な内容が含まれ、気分を害することもあります。不要の場合は読まないで下さい。


−経緯−

昭和23年8月27日、横浜の占領軍第8軍軍事法廷は米軍捕虜に対して生体解剖実験を行ったとして九州大学医学部関係者、軍部関係者ら14人の内、5人を絞首刑、4人に終身刑を言い渡した。

事件は、戦争末期の昭和20年5月頃、日本本土空襲のため飛来した超大型爆撃機B29が不時着したことから始まる。九州地区を防衛管轄とする西部軍司令部は、搭乗員だったウイリアム・フレドリック少佐ら12人を捕虜とし、裁判なしで12人の搭乗員の内、8人を死刑処分とした。

その後、九州大学・第一外科出身の見習士官と同外科教授の石山福次郎教授らが「生体解剖の実施」を西部軍司令部に提案し許可された。そこで同医学部は死刑を宣告された捕虜8人を西部軍司令部から引き取った。8人の捕虜は、収容先が病院だった為、死刑の恐怖から一転して安堵した。中には笑顔で医師たちに向かって「サンキュー」と言った捕虜もいた。

その直後、同大医学部の鳥巣太郎教授、平尾健一助教授ら医師、医学生、看護婦など40人以上が動員され、捕虜を手術室に連行し、生きたまま肝臓・心臓などの器官を取り除いたり、血液の代用として海水の注射が可能か否かの実験をした。

この時、石山教授は手術台を取り巻く弟子達に「心臓は切るのも縫うのもさして難しいことではない」と言ったという。解剖が終了すると取り除かれた心臓や肝臓などの器官は醤油で料理され、陸軍将校集会所の宴会に供された。

終戦後、連合軍総司令部は行方不明になっている40人以上の米軍捕虜の調査を行った。旧日本軍は、この捕虜8人の死因は広島の原爆で死亡したと報告していたが、総司令部法務局のアルバート・カーペンター大佐は5ヶ月間をかけて徹底的に調査した。その結果、生きながら解剖実験をしていた事実を突き止め、同大医学部の石山教授、鳥巣教授、平尾助教授、看護婦長の筒井しず子、裁判なしで8人を死刑宣告した西部軍司令官・横山勇中将、肝臓を食べた堀内清真少将ら29人を起訴したのだった。

昭和21年7月、石山教授は収容先の福岡・土手町刑務所で「一切は軍部の命令、責任は余にあり」と弟子、看護婦らの釈放を願いながら首吊り自殺した。だが、石山教授は、旧日本軍の731部隊の細菌実験に参加した医師から資料の一部を受け取っており、人体実験には相当強い興味があったと見られている。

−その後の減刑−
裁判では、鳥巣、平尾、横山ら5人に絞首刑、筒井ら4人に終身刑、肝臓を食べた堀内ら5人は無罪とした。彼らはそのまま刑に服したが、昭和25年の再審減刑で死刑囚は絞首刑を免れた。


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