愛知・コンクリ詰め殺人事件


−経緯−

昭和46年5月1日午後7時頃、大島卓士(当時39歳)は、愛知県武豊町の金融業・金山雲峰こと金コウビンさん(当時61歳)宅を訪ねた。大島は大阪市住吉区で経営していた会社が倒産し事業資金に困っていた。その頃、友人から金さんが自宅と3万平方メートルの山林を売却するようだとの情報を得た。大島は次の事業資金のため資金援助してもらうため金宅を訪問したのだった。

金さんの邸宅は地元では有名な「広仙閣」と呼ばれる大豪邸だった。藁をも掴む思いで金さん宅を訪問した大島は、資金援助の話を持ち出したが交渉はうまくいかなかった。一旦、金さん宅を出た大島は「殺すしかない」と再び金さん宅を訪問した。適当な理由をつけて金さんと内妻の堀内亮子さん(当時44歳)を戸外に連れ出し金槌で殴殺。金さん宅に戻って亮子さんのいとこの子供である紀子さん(当時24歳)も絞殺して、3人の遺体を宅地内の深さ1.5メートルの水槽に投げ込み、コンクリを流し込んだ。

当初、資産家一家3人の蒸発と騒がれたがその後の手かがりは一切掴めなかった。大島は犯行から11日後には時価数億円の金さんの土地・建物を自分の会社名義に移転登録し現金・車・預金・貴金属など全てを自分のものにしていた。

−逮捕−
警察は、金さんの資産が大島の会社に移転登録されていることを突き止め昭和47年1月5日大島を逮捕した。しかし、大島は「金さんを殺したのは平山という男で自分は手伝っただけ」と主張した。しかし、昭和49年5月20日名古屋地裁は「平山犯行説は虚構」として大島の単独犯行説を採用し死刑を言い渡した。昭和50年4月17日名古屋高裁は一審を支持。昭和53年4月17日最高裁で大島の上告を棄却。死刑が確定した。

大島はその後、再審請求することもなく昭和60年5月31日名古屋拘置所で死刑執行。享年53歳。


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