愛知・肝とり殺人事件


−経緯−

昭和23年4月1日午後、愛知県西春日井郡新川町で無職の平岩文男(当時23歳)が自宅にゴム紐の行商で訪ねてきた松尾ハル子さん(当時37歳)を絞殺し、自宅別棟の納屋に運び解体した。3日になって、死体を菰(まこも)に包んで自宅近くの新川に捨てた。

平岩は、尋常小学校を頭脳明晰で首席で卒業した。その頃、平岩は紫斑病におかされ名古屋帝大医学病院の研究患者として入院した。病気は2年で完治したが、入院中に読んだ雑誌から平岩は自分の病気はライ病であると信じこむ。さらに肺結核も併発していると思い込んだ平岩は医学に不信を抱くようになる。

退院した平岩は自暴自棄となり自宅の部屋から一歩も外に出なかった。村人は、そんな平岩に対して「肺病やみ」、「クサリ」などと冷たい視線を投げかけた。村人の嘲笑・侮辱に対して平岩は恨んだ。村人に復讐するためピストルの入手を試みたり、村の各井戸にチフス菌を散布する計画を立てては自分を癒していた。村人に対する復讐を想像するだけが唯一の生きがいだったのだ。

昭和22年8月、近所の在日朝鮮人が「この種の病気には生肝がきく」と平岩に言った。平岩は「復讐のためには何としても生きなければならない」と鶏の生肝を食したが効果が無い。やはり人間の生肝でないと効果がないと思い込み、人間の生肝を食するチャンスをうかがっていた。

−犯行当日−
昭和23年4月1日、松尾さんが行商で自宅を訪ねてきたとき、チャンスは今だと思い絞殺したのだった。納屋で解体作業にかかった平岩は、松尾さんをうつ伏せして腰のあたりにノコギリを入れた。血が吹き出るとともに内蔵が飛び出してきた。この状況に腰を抜かした平岩は生肝を食するどころではなかった。その後、死体を菰に包んで川に捨てたのだった。

死体遺棄から数日後、菰に包まれた死体を発見した村人が警察に通報。警察は近所を取り調べた結果、平岩を容疑者として逮捕した。昭和23年9月21日名古屋地裁は平岩に死刑を言い渡した。続く二審で弁護側は「心神衰弱」を主張したが認められず控訴棄却。この判決で嫌気がさした平岩は上告をせず死刑が確定した。


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