枝川事件

-経緯-
昭和23年12月2日、在日朝鮮人約50人が織物問屋から82反の織物を窃盗する事件(被害総額260万円)が発生した。所轄の深川警察署が捜査を行なった結果、2人の容疑者を逮捕した。

警察は、この容疑者を厳しく取調べた結果、主犯が判明。翌年の昭和24年4月6日、捜査官8人が潜伏先の枝川(現、東京都江東区枝川)にある朝鮮居住地区に立ち入った。すると、間もなく主犯の容疑者を発見したが、男は名前を偽り事件とは無関係であると主張した。そこで捜査官は、任意同行を求めて警察署に連行しようとした矢先、男が裸足のまま逃走。これを阻止しようと、捜査官が拳銃で威嚇。さらに逃げる男に向かって発砲して身柄を拘束した。

男は、軽傷であったが、周りで見ていた朝鮮人同胞の約40人が「仲間をやった奴は、やって(殺して)しまえ」と叫んで、捜査官を取り囲んで殴る蹴るの暴行を加えて重傷を負わせた。更に、捜査官は在日朝鮮人連盟・枝川支部に拉致監禁されたが、内1人の捜査官が脱出して近所の家にある電話を借りて警察署に応援を求めた。

-警察と大乱闘-
連絡を受けた深川署は、月島警察署と連携し、犯人逮捕と捜査官救出のため応援部隊を現場に急行させた。が、在日朝鮮人達の興奮は高まる一方で、警察官との揉み合いは次第にエスカレート。多くの警察官が負傷する事態に発展した。結局、進駐軍の米軍憲兵が仲介に入り事態は小康状態となった。

その後、在日朝鮮人側は暴行した犯人の引渡しを確約したが、期日になっても約束を履行しなかった。それどころか、捜査官の処分を要求する始末。このため警察側は、4月13日に強制捜査を強行。結果、暴行を働いた者10人が4月19日までに逮捕された。また、窃盗の主犯も逮捕され事件は収束した。

-在日朝鮮人居留地-
枝川町は、大正時代に東京湾埋立て計画に基く工事で昭和3年に完成。川が東京湾に向かって縦横にあることから枝川町と名付けられた。ここに、東京市(現、東京都)は、バラック小屋を建てて、深川に居住する在日朝鮮人約1000人を収容した。戦前から戦後の昭和50年代頃まで、゛朝鮮人部落゛などと呼称し差別していたのは事実である。この差別が、「就職先の限界=生活の困窮=子供達の就学率低下=非行/犯罪」という悪い連鎖となったのではないだろうか。

朝鮮人だから、犯罪を犯すのではない。差別による機会均等が得られず、犯罪に手を染めてしまうことも多々あったと思う。勿論、だからと言って犯罪を正当化するものではないが、毎日新聞の枝川町部落/通称゛どぶろく部落゛の写真を見ると、そのように思ってしまう。

-参考-
現在の枝川は、東京ベイのウォーターフロントとして、付近に高層マンションが立ち並び当時の面影はまったくない。当時の画像を見ると、警察官も立ち入るのに躊躇するだろうと想像できる。

毎日新聞フォトバンク
http://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php
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