山梨・司ちゃん誘拐殺人事件


−経緯−
昭和55年8月2日、山梨県明野村で電気工事店経営の梶原利行(当時36歳)は、約150万円の借金返済に迫られて途方に暮れていた。梶原は地元では「ソフトボールのおじちゃん」として子供に慕われていた。この日も山梨県一宮町の運動場でソフトボールの練習を見ながら「借金返済」のことばかりを考えて、子供達の喚声も耳には届かなかった。

その時、運動場で遊んでいた同町に住む大勝和英さんの次男・司ちゃん(当時2歳)が目に映った。梶原は発作的に司ちゃんを誘拐し、夕方になって大勝宅に1000万円の身代金を要求する脅迫電話をかけた。

警察は、目撃者の証言などから「ソフトボールのおじちゃん」こと梶原が誘拐犯と断定。山梨県及び隣県へ指名手配を行った。同月15日、指名手配された梶原は東京・浅草で逮捕された。その間、大勝宅への脅迫電話は30回に及んだ。

取調べで梶原は、誘拐から2日後の同月4日、司ちゃんの首を絞めて殺していたことが判明。殺しておきながら、数十回に及ぶ脅迫電話をかけていたことで非難が集中した。

−公判−
昭和57年3月3日、甲府地裁は梶原に死刑判決を言い渡した。身代金目的の誘拐殺人事件では戦後8人目の一審死刑判決だった。一審判決後の正月(昭和58年1月)、面会の弁護士に「甲府で隠れて暮らす妻子(事件後、離婚)のことが心配で夜も寝られない・・・」「私が殺した被害者様も、どんなにか家に帰りたかったことだろう・・・」という後悔と反省の気持ちを吐露している。

昭和60年3月20日、東京高裁は「最近の量刑の動向からも死刑は慎重にしなければならない」「犯行は残虐、冷酷だが、司ちゃんを見失い誘拐をいったん諦めたこと、身代金の要求も場当たり的で、綿密な計画に基づく行為とは言い難い」として梶原に無期懲役を言い渡した。生きて償う機会を与えられた梶原は同年7月に無期懲役として服役した。


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