ジラード事件


-経緯−
終戦から12年が経った昭和32年1月30日、日本はまだ米国の占領下にあることを実感させる事件が発生した。この日、群馬県相馬が原の米軍演習地で地元の主婦・坂井なかさんが、砲弾の薬きょう拾いをしていた。当時、この薬きょうは、お土産として売れるため近所の主婦がよく拾いに来ていた。。そこに米軍兵士が「ママさん、ママさん」と声をかけた。坂井さんが米兵に近づくと、小銃が火を吹き彼女は射殺された。調査の結果、この米兵はジラード特務二等兵であることが判明した。

−厚い壁−
事件は、日米間の政治問題となる。すでに日米講和条約が締結され独立国家として、日本は捜査調査権と犯人引渡し要求をしたが、米国は身柄引渡しを拒否するなどさまざまな妨害をした。結局、同年11月、日本側の裁判権が認められ、ジラードに傷害致死罪で懲役3年、執行猶予4年の判決が下った。だが、この事件は傷害致死ではなく殺人罪であって、判決が軽すぎるという世論の声が大きかった。

その後、ジラードは日本人女性と結婚し、さっさと米国へ帰国してしまった。この事件を契機に、在日米軍基地でのさまざまな問題や日本政府の米国に対する低姿勢、米国から完全独立をしていないことなど問題が浮き彫りになった。

画像
現場検証で、銃を構えるジラード


ホーム

inserted by FC2 system