昭和石油・取締役一家3人殺害事件


−経緯−
昭和58年2月3日午後1時頃、東京都大田区の閑静な住宅街にある昭和石油元取締役・新津専吉さん(当時77歳)宅で、新津さんと妻の朝子さん(当時62歳)、朝子さんの実母の岩崎律さん(当時91歳)の3人が殺されているのを新津さんの三男の妻ら近親者と同行した警察官が発見した。

近親者らは、前日から新津さん宅に電話をかけても応答が無いことに不審を抱き3日昼頃、新津宅を訪問。家の様子がおかしいため110番通報し駆けつけた警察官と家に入り3人の行方を捜した。その結果、床下の収納庫に包丁で刺殺された3人の死体を発見したのだった。

警視庁と東調布署は、床下の場所は見つかりにくい事、包丁も台所にあったものを使っていることなどから家の事情を精通している者とみて捜査を開始した。その結果、新津さんの義理の甥で保険代理店経営の今井義人(当時42歳)を殺人容疑で逮捕した。

今井は保険代理店の経営が不振で負債を抱えていた。このため新津さんに借金の申し込みをしていた。しかし、新津さんは今井の生活態度をなじり借金申し込みに対して断わる態度を続けていた。そこで今井は、1月29日午前1時過ぎ、新津さん宅に忍び込み就寝中の新津さんら3人を包丁で殺害。額面約570万円の預金通帳と印鑑を盗んで逃走した。今井は逮捕後の供述で、新津さんを収納庫に押し込んだとき「やっつけたぞ、ざまぁまろ」という気持ちだったと告白した。この告白が後々の公判で大きな影響を与えた。

−公判−
今井は、少年時代から新津さんに学費の援助や就職の世話を受けていた。その恩を仇で返した今井に公判は厳しかった。弁護側は「犯行は新津さんになじられた恨み」だと訴えたが、検察側は「やっつけたぞ、ざまぁまろ」を引き合いに出し、「犯行は自己中心的で極悪非道。矯正は難しい」と死刑を求刑した。

昭和59年6月5日、東京地裁は今井に死刑を言い渡した。昭和60年11月29日、東京高裁は控訴棄却。昭和63年10月27日、今井は昭和天皇の恩赦を期待して上告を取り下げ死刑を確定させた。が、天皇崩御に伴う恩赦は無かった。このため平成8年12月20日、東京拘置所で死刑執行となった。享年54歳だった。


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