埼玉・宮代町母子殺人事件


−経緯−

昭和55年3月21日未明、埼玉県宮代町の羽鳥宅から出火。半焼した2階の部屋から羽鳥さんの妻(当時51歳)と息子(当時23歳)の二人がパジャマ姿で絞殺されているのを発見した。犯人は家中に灯油を撒き散らし、食用油を入れたフライパンをガスレンジにセットして点火。逃亡時間を稼ぐための計画的な放火であった。

埼玉県警杉戸署は、被害者が抵抗した様子が無いことから怨恨か知人・身内の犯行と見て捜査を開始した。

一方、同年4月19日に栃木県警日光署は3月31日に日光市内で発生した強盗傷害事件で無職の村松誠一郎(当時24歳)と弟の自動車運転手・裕次郎(当時21歳)を逮捕した。村松兄弟は、強盗傷害事件を素直に認め自供した。そこで、警察は犯行手口が似ていることから村松兄弟に対して埼玉県宮代町の母子殺人放火事件の嫌疑をかけた。

村松兄弟は20日間否認し続けるが、5月10日に「わからず屋を相手に無駄にこれ以上苦しむことは無い。裁判官になら判ってもらえる」と犯行の自供を行った。物的証拠は無かったが、警察はこの自供で村松兄弟に対して宮代町母子放火殺人容疑で再逮捕した。

村松兄弟は、その後宮代町母子放火殺人事件に関して全面否認を行う。6月11日、浦和地裁は証拠不十分で一旦起訴を保留にしたが30日になって起訴。10月8日の初公判以降、村松兄弟は犯行の全面否認を行ったが昭和60年9月26日、浦和地裁は村松誠一郎に死刑、弟の裕次郎に無期懲役の判決を言い渡した。

−ミステリー−
村松兄弟が、犯行を自供する3日前の昭和55年5月7日、被害者の夫(当時52歳、事件当時別居中)は埼玉県警の取調べで妻と息子2人の殺害と放火を認める自供をしていた。更に、心労で疲れ果てている村松の母親に自宅台所の板の間に寝かせて調書を取ったり、村松のアリバイを実証した女性に脅迫に近い言動や私生活、友人関係、職場まで立ち入って、ついにこの女性が失踪するなど警察の捜査は異常だったと言われている。

平成4年7月29日、東京高裁は村松兄弟の控訴棄却。平成10年10月8日、最高裁は上告を棄却して兄の村松誠一郎に死刑が確定、弟の裕次郎に無期懲役が確定した。


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