市川・一家4人殺害事件


−経緯−

平成4年3月5日午後4時30分頃、関光彦(当時19歳)は千葉県市川市の会社役員・Yさん(当時42歳)宅に押入り、寝ていたYさんの実母(当時83歳)から現金8万円を奪った後、ビニールコードで絞殺した。その後、帰宅した長女で高校1年生のI子さん(当時15歳)を監禁。午後7時頃帰宅したI子さんの母親(当時36歳)をI子さんの目の前で包丁で刺殺した。

関は放心状態のI子さんを強姦し、その最中の午後9時過ぎに帰宅したI子さんの父親・Yさんも同様に殺害し預金通帳を奪った。翌日の午前6時頃、目を覚ました次女(当時4歳)を同じく包丁で刺殺した。関は半日で一家4人を殺害し、I子さんに強姦、傷害を負わせた。

6日の午前9時過ぎにYさんの会社から交番に「社長宅の様子がおかしい」と届け出があり、警察官がY宅に駆けつけた。玄関は鍵が閉まっていたため隣室のベランダから窓を破って侵入し4人の死体を発見。関を殺人容疑で逮捕するとともにI子さんを保護した。

関は2月頃、強姦目的で車を運転しながら物色中、たまたまI子さんがシャープペンの芯を買いに自宅から自転車に乗って走っているところを故意に接触。倒れたI子さんを介抱するように見せかけて関のアパートに連れ込み強姦。この時、I子さんの学生手帳から自宅の住所・氏名を知った関は、金を工面しようとY宅に押し入ったのだった。

−凶暴性−
関の父親は事業の失敗やギャンブルで多額の負債を抱え、暴力団からの借金返済に迫られる毎日だった。それが原因で両親の離婚、3回の転校など小学校から中学校にかけて親の愛情を受けることなく孤独な生活を余儀なくされた。

高校在学中に他校生に対して傷害事件を起こし中退。その後、祖父の店で店員として働いたが、関の暴力がひどく祖父は失明に近い傷害を受けた。Yさん一家4人殺害事件の前年、平成3年10月には関が運転する車の前を走っていた男性に「速度が遅い」と殴る蹴るの暴行をした。

更に、道を尋ねる振りをして女性に近づき、いきなり殴りつけて強姦するなど、逮捕された平成4年3月までの約5ヶ月間で14件の犯罪を繰り返し、4人を殺害、I子さんを含む2人の女性に強姦、I子さんを含む男女5人に全治10日から3ヵ月半の重軽傷を負わせた。

−動機−
関は平成4年2月6日頃、経営者に無断で知り合いのホステス(フィリピン人)を自宅アパートに連れ込み関係を持った。これに激怒した暴力団関係者から「200万円の慰謝料」を要求された。そこで、金策のあてが無い関は、数日前に強姦したI子さんの住所・氏名を覚えていた為、I子さん宅に押し入ることを思いつき犯行に至った。

平成6年8月8日、千葉地裁は関に対して死刑を言い渡した。平成8年7月2日東京高裁で関の控訴を棄却。平成13年12月3日最高裁は上告を棄却。関に死刑が確定した。少年犯罪(犯行時)で死刑判決が言い渡されたのは「連続射殺魔事件」の永山則夫以来であった。

関は、逮捕された当時、自分は未成年者であり死刑などまったく頭になかったようで、「女子高生コンクリ事件でも、あいつらは死刑になっていないから、オレの場合も楽勝でしょう。ああ、ついに少年院行きかぁ」と言ったという。今、彼に心境を聞いてみたいものだ。


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