孫斗八・洋服商殺人事件(日本のチェスマン事件)


−経緯−
昭和26年1月17日、詐欺容疑で指名手配されていた在日朝鮮人の孫斗八(当時24歳)は神戸市の洋服商でオーバを購入した。この時の孫は正月が過ぎたばかりの大寒の中、薄いズボンに質屋から借りた女物の下駄履きという格好であった。

以前、孫にオーバを売ったことがある洋服商の主人Aさんは孫に同情し暖かいぜんざいを与えた。更に近所の飲み屋で酒をふるまった。別れ際にAさんは「脱線せんと、まっすぐ家に帰りなはれや」と暖かい言葉をかけた。

それから1時間後、孫は再び洋服商を訪れ、応対に出たAさんの妻に「また、ご主人と飲みたい」と告げた。Aさんの妻は「もう主人も寝ているし、夜も遅いから」と言って取り合わなかったが、孫は勝手に上がり込みAさんを起こそうとした。この時、金槌が目にとまった孫はAさん夫妻に突然襲いかかり金槌で殴打。Aさん夫妻は即死状態だった。

−獄中からの訴訟−
逮捕された孫は無罪を主張。だが、公判では「同情したAさんの心を裏切り惨殺した、極めて悪質な行為」として昭和30年12月16日、最高裁は孫の上告を棄却し死刑が確定した。

孫が日本中で有名になったのは、洋服商殺害事件で拘置されている間に「死刑を逃れたい」とする一念から様々な訴訟を起こす。しかも、その訴訟の殆どが勝訴するということからだった。

まず「監獄法は憲法違反」と問題を提議した監獄の人権を争う訴訟である。昭和29年10月、通信の差し止めや抹消、検閲、新聞の購読禁止などの処分無効を求めて大阪地裁に「文書図画閲読禁止処分に対する不服」を提訴。大阪地裁は昭和33年8月に孫の訴えを全面的に認める判断を下して孫の勝訴となった。

孫は、この勝訴で勢いがでて「現行の絞首刑は残虐で憲法に違反する」、「監獄法の教戒規定は憲法違反。監獄当局の教戒強制を止めさせて欲しい」など十数件の提訴を行う。

大阪地裁に提訴した「死刑執行処分取り消し請求事件」では、異例の死刑執行停止命令を2回まで取り付けるのに成功。さらに、この訴訟の過程で孫は死刑執行場を現場検証しロープの張り具合い、角度などを調査。この提訴の主人公は死刑確定者の孫であり、孫は刑務官を死刑囚に仕立てて実況見分を実施した。

−日本のチェスマン−
孫は、米国の凶悪犯罪者のキャロル・チェスマンに例えられた。チェスマンは、警官を装って走行中の車を止めて運転していた男を殺して金品を強奪。助手席にいた女性は強姦後、殺害した事件で死刑判決を受けた。チェスマンは「大学教授の頭脳と変質者の魂を持つ男」と言われ、死刑囚監房を法律事務所にして自ら自身の弁護人となり法廷闘争を繰り返し、死刑執行を8回も執行停止命令を取り付けた男だった(死刑囚2455号=チェスマン)。

孫も、拘置所で法律の勉強を猛烈におこなった。生きたい・死にたくないという執念がそうさせたのか若手弁護士レベルまで到達していたという。が、日本のチェスマン・孫にも最後の日が来た。

昭和38年7月17日、旧大阪拘置所に収監されていた孫は死刑執行場へ連行しようとした刑務官に対して暴れまくり、刑務官に引きずられるように死刑台に上った。孫の最後の言葉は「だまし打ちにするのか!」であった。享年37歳。


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