藤沢母娘他5人殺害事件


−経緯−
昭和57年5月27日午後8時頃、無職・藤間静波(当時21歳)は、少年院で知り合ったA(当時19歳)を誘って神奈川県藤沢市の会社員・畑光治さん(当時51歳)宅に新聞集金を装って訪問した。藤間らは、応対に出た光治さんの妻・晴子さん(当時45歳)、長女の真輝子さん(当時16歳)、次女の真理子さん(当時13歳)の3人を用意していた牛刀でメッタ刺しにして殺害した。夫の光治さんは会社から帰宅していなかったため難を逃れた。

藤間は事件から約半年前、歩いていた真輝子さんに偶然出会って一目惚れ。道を聞くふりをして声をかけた。これがきっかけで交際するようになった。が、藤間は強引なだけで話題も無い、趣味も無く実につまらない男であると感じた真輝子さんは、やがて藤間を遠ざけるようになった。しかし、なんとか交際を続けたい藤間は「デートで使った金を返せ」などと因縁をつけて真輝子さんの自宅に何度も押しかけた。

犯行一ヶ月前には、真輝子さんの両親から110番連絡をされて追い返されてしまった。このことを一方的に恨んだ藤間は、自分の誠意が無視されたと思い畑家への復讐を計画した。

生い立ちと猜疑心−
藤間は幼い頃から女の子や内気な子に対して虐めるなど粗暴の性格であった。母親は藤間をかばい溺愛していた。しかし、妹が生まれると母の愛情は出来のいい妹に移っていき、藤間は家庭から疎んじられる存在となった。中学を卒業後、就職をしたが長続きはしなかった。退職後は窃盗やひったくりなどを繰り返し少年院へ出たり入ったりしていた。藤間はその少年院でも協調性が無く孤立していたという。

藤間は猜疑心も非常に強かった。畑家3人を殺害した9日後、一緒に逃亡しているAに対して「いつ警察に密告されるかわからない」として兵庫県尼崎市で殺害した。さらに、前年10月6日、事務所荒らし仲間のB(当時20歳)を自分の金を奪ったとして横浜市内のキャベツ畑に呼び出して殺害していた。

−法廷でVサイン−
藤間の奇行は自ら法廷で曝け出す。弁護人には一切心を開かず「無罪のみを主張」するだけだった。当初弁護側は「捜査段階での自白に任意性が無い」と主張したが、公判から3年後、彼は反省しているとして「起訴事実を認める」情状酌量の作戦に方向転換している。この公判中、藤間は報道陣に対して「Vサイン」を送るなど奇行が目立った。

昭和63年3月10日横浜地裁は藤間に対して死刑を言い渡した。この時、判事が「最後に言いたいことがあるか」と問いかけたところ、藤間は「最後に言いたいことがあります」と言って暴力団幹部の名前を挙げて傍聴席にVサインを送った。

平成3年収監中の拘置所から「控訴取り下げ書」を自ら提出。一旦、死刑が確定しかけたが、「まともな精神状態ではない」として弁護側の異議申し立てを最高裁が認めて、改めて控訴審で審理開始。平成12年1月24日高裁は控訴を棄却し一審の死刑判決を支持。平成16年6月15日、最高裁の浜田裁判長は「わずか8ヶ月間に5人を刃物でメッタ刺しにするという執拗、残忍な行為で社会に与えた衝撃は大きい」と述べ藤間の上告を棄却した。これにより藤間の死刑が確定した。平成19年12月7日死刑執行。享年47歳。


ホーム

inserted by FC2 system