天下一家の会・ねずみ講事件


−経緯−
昭和47年2月16日、熊本地検はねずみ講の第一相互研究所所長・内村健一(当時46歳)を20億1400万円の脱税容疑で逮捕した。地検は、内村が考案したねずみ講の「親しき友の会」などの莫大な会費を収入として申告せず資産隠しを行ったと判断したためだった。

内村は大正15年、熊本県で農家の4人兄弟の次男として出生。中学を中退して鹿児島の海軍航空隊に入隊。20歳の時に終戦を迎えた内村は故郷の焼け野原を見ながら「これからの日本復興には経済だ」との一念で保険会社に入社した。内村の保険会社勤務20年間の評判は「話術は優秀では無かったが、粘りと方言まるだしで相手の目をじっと見て話す姿勢は説得力があった」という。

昭和43年、内村は生まれ故郷の熊本県甲佐町で会費2080円のねずみ講「親しき友の会」を始めた。このねずみ講は、内村が持病の糖尿病で病院に入院しているときに思いついたと言われている。

―ねずみ講とは―
「親しき友の会」に入会したA会員は2080円を出資する。内訳は天下一家の本部から指定された6代前の先輩会員に1000円を送り、残りの1080円は本部に送る。この手続きを経ると本部から会員証と子会員(自分から見て)4人の勧誘書類が送られてくる。

A会員は4人の勧誘が義務付けられており、子会員は更に4人づつの勧誘で16人、更に64人、256人と増えていき6代目が1024人。6代前の先輩会員となったA会員は、この段階で1024人から各1000円づつ102万4000円を手にすることができる。

親が子供を産み、その子供が親となり子供を生むという図式があたかも「ねずみのように膨らんでいく様態」を示すということで「ねずみ講」と呼ばれた。
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−急成長−
天下一家の会のねずみ講は瞬く間に全国に拡大していく。昭和43年の最盛期には会員180万人あまり、本部に入った会費は1000億円以上と見られた。その後、天下一家の会は「第一相互経済研究所」として発足(所長:内村)、熊本に地上8階の本部ビル、5機の自家用機、ベンツのリムジンを所有。更に全国各地のホテルを買収し多角経営を始めた。

昭和44年には、更に規模の大きい「相互経済協力会(入会金4万円)」、「交通安全マイハウスの会(入会金10万円)」など様々な企画を打ち出していく。この間、国税局や地検では天下一家の会・第一相互研究所に対する「ねずみ講」の違法性を研究したが、当時ねずみ講自体を違法とする法律が無く野放し状態であり「無限連鎖防止法」が施行されたのが昭和54年5月だった。

無限連鎖法は、「終局的には波状するべき性質」のもので、地球上の人口に限りがあること、全ての人間がねずみ講に参加するわけでは無いことから、無限に会員が増えていき会員全てが儲かることは無い。このような連鎖的でいつかは波状する会員制を禁止した法律」である。これに対して、内村は退会する会員もいる事、新たに出生する人間が加入する事で、この制度は無限に続けることができると主張した。

−没落−
昭和47年に脱税容疑で逮捕された内村は無限連鎖法の施行に伴い第一相互研究所の「破産宣告」を受ける。昭和58年7月、内村の所得税法違反での有罪が確定。内村は持病の糖尿病で闘病生活を余儀なくされ平成5年死去(享年69歳)。

内村は最後に「お金万能主義に陥り、お金を追いかけて命をすり減らしていくという金が仇の世の中。欲が先に立つものは必ず自滅する」という言葉を遺した。内村死去後も被害者側の破産管財人が第一相互研究所から徴収した法人税106億円の返還を求めて熊本地裁に提訴。平成7年3月、熊本地裁は原告請求を棄却。平成11年4月、福岡高裁で「第一相互研究所は法人税の課税対象ではない」として国などに19億8000万円の返還を命じた。平成16年7月1日に最高裁の判断が下される予定。

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天下一家の内村(絶頂期の昭和43年頃/出所:NTV)


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