上野・消火器商一家5人殺害事件


−経緯−
昭和49年2月7日午後12時頃、東京都台東区上野にある消火器販売業「柿崎製作所」宅で社長の柿崎喜三郎さん(当時74歳)、妻・きやさん(当時68歳)、三男・功さん(当時32歳)とその妻・富子さん(当時27歳)、同店で以前アルバイトをしていた国鉄職員(現JR)の工藤孝市さん(当時26歳)の5人が殺されているのを訪ねてきた柿崎さんの親戚によって発見された。

警視庁捜査1課と上野署の捜査本部が現場の調査を開始。喜三郎さんは頭部を鈍器で殴打されており致命傷だった。ところが、犯人は更に電気コードで首を絞め、その端はベットの脚にくくり付けられていた。妻のさやさんも頭部を殴打れた後、口・鼻に湿布を貼り付けて窒息させられ更にタオルで絞殺されていた。

その一方、現場はタンスや戸棚など全ての引出しが開けられて、部屋一杯に散らかされている状況であった。このため捜査本部は、「怨恨による犯行」か「物取りによる犯行」か犯人の真意が計りかねたが、両面から捜査することになった。

−捜査−
これだけの犯罪であるため捜査は難航するかに思えたが、糸口は簡単に見出された。現場に血まみれになって脱ぎ捨てられていたズボンにクリーニング屋が付けたと思われるネームを発見したからだ。この名前を捜査した結果、以前、柿崎製作所で消火器の販売セールスをしていた徳永励一(当時36歳)であることが判明。また、犯行当日の7日午前10時頃、徳永は自宅に戻ると母親に「もうこの家に居られなくなった。捕まったら死刑になるから逃げるだけ逃げる。体を大事にしてくれ」と言って行方をくらましていることが判明。そこで、捜査本部は徳永が犯人と断定し全国に指名手配を実施した。

−共犯と逮捕−
さらに、捜査本部は、現場で徳永以外の物と思われる「特殊な靴下」を発見していた。この靴下は主にとび職が使うもので、日頃、徳永が日雇い労働者が密集している山谷に出入りしていたため、この地区のとび職を対象とした聞き込みを始めた。

その結果、この靴下がとび職の木村繁治(当時39歳)のものであることが判明。犯行から4日後の11日、台東区浅草の雇い主宅へ賃金未払い分を取りにきたところを逮捕した。逮捕後、木村は徳永と共謀で犯行したことを自供した。徳永は3月8日、足立区千住の以前勤務していた会社に就職依頼に行ったところを逮捕された。

−動機−
徳永と木村の逮捕で事件の全容が判明した。捜査本部は当初から「怨恨」と「物取り」の両面から捜査したのだが、結果はその両方だった。徳永の自供は「俺の父の時からの恨みだ。親子2代、騙し商売をするのはやめろ・・・」と言うものだった。徳永の父親は同じ消火器の販売をしていたが、柿崎さんに得意先を横取りされて稼業が傾き廃業となった。その長年の恨みで殺害することを決意して山谷で知り合った木村に「いい儲け話がある」と柿崎一家殺害を持ちかけたのだった。

徳永と木村の家庭環境は捜査本部が驚くほどそっくりだったという。この二人は互いに励ましあって犯行に至る。約5時間にわたる殺害は徳永がリード。金・物取りは木村がリードして約8時間かけて実行。まさに怨恨と物取りの両面の犯行だった。

昭和50年12月22日、東京地裁は二人に強盗殺人罪などで死刑を言い渡した。昭和52年3月17日、東京高裁は控訴棄却。昭和54年12月25日、最高裁は上告棄却で徳永と木村に死刑が確定した。

昭和61年5月20日、東京拘置所で木村が午前9時34分に死刑執行。徳永は11時16分に死刑執行。互いに励まして犯行に至った二人は死刑も相前後して執行された。


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