四国連続強盗殺人事件


−経緯−
昭和38年10月15日午前11時頃、徳島県三好郡池田町の浄水場管理人の大北武雄さん(当時55歳)と妻(当時50歳)、帰省中の長女(当時30歳)とその長女(当時4歳)、長男(当時4歳)の5人が殺害され、大北さんの三女(当時13歳)は一命をとりとめたものの瀕死の重傷を負っているところを近所の人が発見した。

事件発見から2時間前の午前9時頃、大北宅から10キロ北側の土讃線坪尻駅前の雑貨商・大上徳(当時33歳)宅に強盗が押し入り「夕べ池田で人殺しをしてきた」と言って脅し、現金2000円と店の菓子を奪って逃走する事件があった。徳島県池田署は同一犯人の犯行と見て大規模な山狩りを行った。

20日午前3時頃、香川県豊浜町の雑貨商・横内芳政(当時35歳)宅に手斧とツルハシを持った男が侵入。横内夫妻はケガを負ったものの一命をとりとめた。犯人は現金170円と衣類を奪って逃走した。

事態を重く見た四国管区警察は豊浜町に合同捜査本部を設置。香川・徳島・愛媛3県合同で数千人規模の山狩りを実施した。さらに、犯行現場から指紋の押収に成功。指紋照会で高知県長岡郡大豊村出生の森吉幸喜(当時42歳)と判明。山狩りを更に強化した22日午前8時、ついに森吉を発見し逮捕した。

−生い立ち−
森吉は大正10年に高知県の山深い山間の大豊村で6人兄弟の5番目として出生。子供の頃は内気な性格で勉強嫌い。尋常小学校を卒業すると飯場の作業員として転々とした。この間、徴兵を受けたが、規則正しい軍隊生活は出来ないと逃亡する。太平洋戦争も末期の昭和19年2月に軍に出頭。戦況が不利になっていたこの時期、一人でも兵隊が欲しい軍はたいした懲罰を与えるでもなく高知の連隊に配属させた。が、先輩兵から徴兵を逃げ回っていたと罵倒され虐めを受けて脱走する。

捕まった森吉は軍法会議にかけられて入牢。ところが、入牢先の看守に暴力をふるって重傷を負わせる。これにより無期懲役の判決が言い渡されて広島刑務所で服役した。昭和31年6月、講和条約の特赦で減刑。12年ぶりに社会復帰したが、シャバに出た途端ギャンブルに狂い、その金欲しさで強盗を働く。そして再び刑務所に戻る。

昭和38年9月、6年ぶりに高松刑務所を仮出所した森吉は家に戻りブラブラしていた。出所から2日後、森吉は高知県中村市の雑貨商へ侵入し主人の岡一雄さん(当時34歳)を刺して逃走。その1週間後の10月9日午前2時頃、同県中土佐町の小学校用務員室に侵入。用務員の乾市尾さん(当時49歳)から490円を奪ったあと斧で殺害した。その5日後に前述の大北宅で5人殺害したわけで、森吉はこの間に6人を連続殺害したことになる。6人を殺害して得たものは現金2870円とパン・菓子・衣類だけだった。

昭和39年3月徳島地裁は死刑判決。昭和40年8月控訴棄却。昭和41年3月31日に最高裁は上告を棄却。森吉に死刑が確定した。昭和45年10月29日大阪拘置所で死刑執行。


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