中村喜市郎・8人殺害事件


−経緯−
昭和29年9月7日午前8時30分頃、福岡県京都郡豊津村(現、豊津町)の農業・畑田宅を訪ねた隣家の主婦が畑田家の家族11人が血まみれで倒れているのを発見。駆けつけた警察が現場を検証したところ、主人の畑田善右衛門さん(当時47歳)、妻(当時44歳)、次男(当時12歳)が即死。三男(当時10歳)、四男(当時3歳)、四女(当時8歳)と前夜たまたま同家に泊まっていた善右衛門さんの弟の未亡人・畑田ヨシ子さん(当時34歳)とその長男・安一君(当時14歳)が運ばれた病院先で死亡した。

善右衛門さんの三女(当時14歳)、五女(当時5歳)、六女(当時1歳)は辛うじて命をとりためた。これにより8人が殺害、3人が重傷という大事件となった。警察は、現場に捨てられた血染めの三ツ又鍬(クワ)が凶器と断定。殺傷跡も躊躇無く殴打していること、タンスなど荒らされていない事から怨恨によるもとの推定。殺された畑田ヨシ子さんとトラブルが絶えなかった内縁の夫で理容師・中村喜市郎(当時36歳)を重要参考人として捜索した。この結果、同日の夕方に京都行きの山陽本線の車中で中村を発見。その場で犯行を自供したため逮捕した。

−動機−
中村は同年3月頃から築城村(現、築城町)に住む戦争未亡人のヨシ子さん宅に内縁の夫として転がり込んでいた。ヨシ子さんには長男・安一君、長女キミエさんの二人の子供がいたが、中村はこの子供達とも良い関係を築いていた。ところが、これは仮の姿で次第に中村の本性が現れてきた。理容師の仕事は殆ど就かず、ヨシ子さんには暴力を振るい生活は荒れ放題だった。ヨシ子さんは、この段階で知らなかったのだが、中村は以前何人もの女性と同棲を繰り返し、次第に暴力を振るうようになったり、相手の女性から別れ話を切り出されて、この女性が就寝中に石で殴りつけ、殺人未遂により4年の懲役刑を受けていた。

働かず、暴力を振るう中村に嫌気をさしたヨシ子さんは、家を出て亡夫の姉宅に離婚の相談で訪問した。その翌日、畑田宅に向かう途中でヨシ子さんを捜し歩いていた中村とバッタリ出会ってしまった。結局、二人で畑田宅に訪問することになったが、善右衛門さんは酔いも手伝って「勝手に一緒になっておきながら、いまさら揉め事を持ち込まれても俺は知らん」と話を突っぱねて二人を罵倒した。

中村は「なんで俺が罵倒されなきゃならんのだ」という怒りを抑えて、一先ず自宅に戻った。やがて、午後7時過ぎにヨシ子の長男・安一君を連れて再び畑田宅に訪問した中村は、安一君から「妹のキミが心配しているから帰ってきてほしい」と言わせる。それでも、ヨシ子さんの気持ちは変わらず話し合いはどこまでも平行線をたどった。結局、この日は泊まっていくことになったが、怒りが収まらない中村は翌日の未明に三ツ又鍬で畑田家の家族、親族11人をメッタ打ちして逃走したのだった。

昭和30年2月25日福岡地裁は、中村に死刑判決を言い渡した。同年7月には控訴棄却。同年12月26日に上告棄却で中村の死刑が確定した。


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