富士見中・いじめ自殺事件(葬式ごっこ・いじめ事件)


−経緯−
昭和61年2月1日午前10時過ぎ、岩手県盛岡駅前のデパートの地下トイレで東京都中野区立・富士見中学校2年生の鹿川裕史君(当時13歳)がビニール紐をフックに掛けて首吊り自殺しているのを同デパートの警備員が発見した。床には遺書が置いてあり、その内容で「いじめ」が原因で自殺したことが判明した。

鹿川君は2年生に進級した昨年の4月頃から同学年のツッパリグループに「使いパリシ(走り)」と呼ばれる、いじめの対象となった。グループから菓子やジュースを買って来いと強要されたり、学校の校庭で大声で歌を歌わせたり、顔にペンでヒゲを描かれたり「いじめはエスカレート」していった。鹿川君は、このようないじめを受けても笑っていたためグループや同級生達も鹿川君が悩んでいたことには気付いていなかった。

11月14日、グループは「鹿川君の葬式」を思いつく。鹿川君の机を黒板の前に運び、机には鹿川君の写真、牛乳瓶に水を入れて花をいけてミカンに線香を突き刺しライターで火を点けた。さらに、このグループは色紙に「さようなら鹿川君」とフェルトペンで書き、同級生らに名前やメッセージを書くことを強要した。更に、F教諭(当時57歳)ら数人の教諭にもグループから名前を書いて欲しいと言われて色紙に名前を記載した。
教室に遅れて入ってきた鹿川君は、これを見て「何だ〜これ〜」と言って笑ったと言う。が、その後の授業でも線香の匂いが残り鹿川君は次第に寂しそうな顔になり黙りこくってしまった。親しい級友に「僕はあの日に死んだんだ」と寂しそうにもらしたと言う。
鹿川君の忍耐は限界に来ていた。

−遺書−
2月1日鹿川君はいつもどおり家を出た。が、向かった先は岩手県盛岡だった。下記は鹿川君の遺書である。

家の人、そして友達へ

突然姿を消して申し訳ありません。
くわしいことについては○○とか○○とかに聞けばわかると思う

俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になっちゃたんじゃいみがないじゃないか。だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。

昭和六一年二月一日
鹿川裕史


昭和61年3月、東京都教育委員会は担任教諭を諭旨免職のほか6人を処分。4月警視庁と中野署は16人の生徒を書類送検した。9月、グループのリーダ格2人を保護観察処分とした。

この頃、学校の「いじめ」はピーク。前年の昭和60年11月東京都太田区立羽田中学校2年生・羽中田千春君もいじめを苦に飛び降り自殺している。さらに平成5年、山形の「中学生マット圧死事件」や同6年の愛知県西尾市の中学校で「同級生にいじめられ110万円以上の現金を取られた」という遺書を残して首吊り自殺した大河内君(中学2年)の事件など「いじめ問題」の犠牲者があとを断つことなく続いた。


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