寝屋川・工場主一家殺人事件


−経緯−

昭和20年12月18日、大阪・寝屋川町(現在・寝屋川市)のベルトレーシング工場主の繩田芳次郎(当時60歳)宅に同居している従業員の正井考太郎(当時30歳)は、繩田さんと共に工場に出勤した。その後、正井は工場を早退し繩田宅に戻ると、繩田さんの長女(当時17歳)、長男の嫁(当時30歳)、孫(当時3歳)3人を金槌で殴打し包丁で刺殺した。

その後、繩田さんの妻(当時53歳)、芳次郎さん、長男(当時32歳)がそれぞれ帰宅すると同様の手口で殺害。一日で一家6人を殺害し死体を庭に埋めた。

翌日、正井は古物商を呼んで「博打に負けた繩田さんから家財道具の売り渡しを依頼されている」と言って家財と工場の設備機械などを売り渡し、その現金を持って逃走した。

−事件の発覚−
翌年の昭和21年1月、「繩田家に嫁いだ妹に手紙を出したが、受取人現住せずと返送されてきた。様子がおかしいので一度見に行って欲しい」と義兄から依頼された大阪府・池田市に住む知人の清水慶次さん(当時45歳)が縄田宅を訪問した。すると家は畳と襖が残っているだけで家人も行方不明だった。そこで、清水さんは町内会長へ出向き繩田一家に関して尋ねると、「繩田宅に同居していた男が昨年の12月23日、転出証明書(当時、この証明書がなければ勝手に異動ができなかった)を取りにやってきた。この男の話では、繩田さんが博打に負けて家財道具を売り払って転居すると言っていた」との話を得た。

不審を抱いた清水さんは義兄と相談し、1月26日枚方署に捜索願いの届けを出した。枚方署では早速、繩田宅を捜査した結果、庭先の深さ1.3メートルの防空壕内から繩田芳次郎さん一家6人の死体を発見した。枚方署は、従業員で同居していた正井を犯人と断定。行方を捜索した。

正井は戦前から繩田さんが経営する工場で働いていた。その後、召集令状を受けて戦地へ赴く。終戦後、妻の疎開先の徳島県にいるところを繩田さんから呼び戻され昭和20年11月18日から再び繩田宅に同居し工場で勤務していた。

捜査本部は正井の知人、親戚や旅館などを徹底的に調査。張り込みの強化をかけていた2月12日、大阪駅前で正井を発見し逮捕した。捜査本部の取調べで「呼び戻されて工場に勤務したが、給料が安く待遇面で冷遇されたため恨んで殺害した」と供述した。

昭和22年12月17日、大阪地裁は正井に死刑判決を言い渡し確定。翌23年12月15日、死刑執行。


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