大西克己連続身代わり殺人事件


−経緯−
昭和33年7月16日、警視庁は殺人容疑で全国指名手配していた運転手・大西克己(当時30歳)を逮捕した。大西は、取調べで義父母を含めて4人の殺害を自供した。

大西は山口県下関で出生し大西福松の養子となった。高等小学校を卒業後、工員や自動車運転手などの職を転々とした。昭和30年6月1日、日頃から折り合いが悪かった義父母の福松(当時66歳)とクマ(当時73歳)に酒を振舞い、記念写真まで撮ったりした。酔っ払った義父母に酔い醒ましだと言って青酸カリを混入したジュースを飲ませて殺害した。さらに会社の金130万円を奪い東京へ逃走した。

東京へ来た大西は昭和31年2月、北海道出身の三浦昭夫(当時22歳)と知り合った。大西は三浦から「異動証明書」を4万円で購入し、三浦に青酸カリを飲ませて殺害。岡山県倉敷市の墓地で死体を焼いた。これで、大西は三浦になりすまして二番目の妻をめとり同年8月、東京都港区の建設会社の運転手として就職した。岡山県警・倉敷署では、焼きただれた死体から身元不明として処理したが7月頃、死体の足の手術痕から北海道出身の三浦であることを断定した。

大西は翌32年12月28日、酔っ払って微罪を犯し東調布署で指紋を取られてしまった。そのことで身元がバレるのを恐れて第二の身代わり殺人を計画した。昭和33年1月11日、浅草のドヤ街で知り合った佐藤忠(当時30歳)を茨城県水戸市の千波湖に誘い出し絞殺。その後、ナイフで左親指、鼻、下腹部を切り取って痴情の犯行に見せかけて硫酸をかけて死体を遺棄した。

−その後−
警視庁は、三浦と名乗る男の指紋が義父母殺しの大西の指紋と一致したことから昭和33年7月9日に大西の全国指名手配をおこなった。その1週間後に大西は逮捕された。
昭和34年12月23日、水戸地裁で死刑判決。昭和35年6月13日、東京高裁は控訴を棄却。昭和36年3月30日、最高裁で大西の死刑が確定した。


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