ロボトミー殺人事件


−経緯−

昭和54年9月26日午後5時頃、桜庭章司(当時50歳)は東京都小平市の医師・藤井きよし(当時53歳)宅に配達を装い訪問した。応対に出てきた藤井の妻の実母・深川タダ子(当時70歳)にガムテープなどで拘束し押し入った。

間もなく藤井の妻、道子(当時44歳)が帰宅。桜庭は同様に拘束し監禁した。桜庭の目的は15年前、藤井医師の勤務先である桜ヶ丘病院でロボトミー手術を半ば強制的に受け、その後の後遺症に悩んでいた。その時の主治医が藤井医師で、桜庭は藤井医師を殺害し「ロボトミーの廃絶」を訴えようとした。


道子の話では午後6時頃帰宅するということだったので、2人を拘束したまま藤井医師の帰りを待っていたが、午後8時を過ぎても藤井は帰宅しなかった。桜庭は次第に焦り始め、このまま逃走したのでは二度と目的は果たせないと二人を刺殺した。逃走した桜庭は池袋駅で、巡回中の警察官に挙動不審者として職務質問を受け身柄を拘束された。

一方、藤井医師は当日、同僚の送別会があり翌日の深夜2時に帰宅。自宅で妻と妻の実母が殺害されているのを発見し警察に通報した。警察は、桜庭の取り調べの供述と事件内容が一致することから桜庭を殺人容疑で逮捕した。


−桜庭とロボトミー−

桜庭は昭和4年に長野県・松本市で出生。19歳の時に社会人ボクシングで優勝したり戦後間もなく「これからは英語が必要」と勉強。通訳の資格も取得するなど文武両道で努力家だった。一方で、短気で暴力に訴えることがしばしば見られた。

昭和37年頃、桜庭はスポーツ新聞への投稿がきっかけでスポーツ評論家・作家として著名人となり当時の月収もサラリーマンの5倍以上を稼ぐ売れっ子になった。


昭和39年3月、東京都板橋区の妹宅で母親の面倒のことで口論。桜庭は器物損壊で警察に逮捕された。一週間留置された桜庭は、都立梅ヶ丘病院で「精神病質」と鑑定された。これにより、以前からの暴力行為は精神的な疾患が原因であるとし「桜ヶ丘病院」に強制入院させられロボトミー手術を半ば強制的に受けさせられた。

1年6ヵ月後に退院した桜庭はまったく別人になっていた。何事にもやる気が起きず二度とペンは持てなかった。結局、後遺症で順調だった仕事も全て失ってしまった。この当時、ロボトミーの後遺症で悩んでいる人達が多く、これ以上犠牲者を出してはいけないと犯行に及んだのだった。

平成5年7月7日東京地裁は桜庭に無期懲役を言い渡した。


−ロボトミーとは−

ロボトミー(Lobotomy)は頭の前頭葉を指す。ポルトガルのエガス・モニスがこの手術を発案した。1935年にうつ病や精神不安、暴力行為、アルコール依存症などの疾患がある場合、脳の前頭葉の一部を外科的に切開し脳そのももの機能を排除してしまう。これにより暴力行為は無くなるが後遺症として全体にやる気がでなかったり廃人同様に陥る危険が多く、現在ではこの外科手術は禁止されている。


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