三菱銀行・有楽町支店3億円強奪事件


−経緯−
昭和61年11月25日午前8時20分頃、東京都千代田区の有楽町二丁目の交通会館一階にある三菱銀行・有楽町支店前に日通の現金輸送車が到着し運転手が後部ドアを開けたところ、待ち伏せしていた3人組みの2人が運転手に殴りかかりスプレーをかけた。

日通のもう一人の警備員は銀行員へ書類を手渡ししていたため、その隙にジュラルミンケース2個(計3億3300万円)と麻袋(有価証券4000万円相当)を奪い、反対側に駐車していた白いワゴン車で逃走した。この日は給料日であったため、いつもより多くの現金を輸送していた。

逃走に使われた白いワゴン車は約50分後に犯行現場から500メートル離れた銀座6丁目の地下駐車場で発見されたが、空のジュラルミンケースと麻袋、外国製のお面とベージュのコート、白いヘルメットが見つかったものの現金は持ち去られたあとだった。警視庁の調べで、犯行に使われた白いワゴン車は港区の会社所有のもので21日の深夜に盗難されていたことが判明した。

襲われた日通の警備員達の証言によると1人は170センチ前後で白いヘルメットをかぶっていた。もう一人は赤いヘルメットで残る1人は覚えていなかった。いずれもフルフェースだったため人相も判らないということだった。

地下駐車場のモニターでは犯人らしき姿は映っていなかった。このため、徒歩で駐車場を出て最寄の地下鉄で逃走したことも考えられるため、地下鉄構内を含めて都内で一斉検問を実施したが、その後の犯人の足取りはまったく掴めなかった。

−11年前のリベンジーと意外な犯人−
犯行から1時間後に警視庁は「3億円強奪事件・特捜本部」を設置。指揮官は捜査一課・緒方保範で鑑識課のトップが塚本宇兵だった。塚本は昭和43年に府中で起きた「3億円事件」の鑑識を担当していた。この時、犯人が残していった指紋30個の照合を鑑識課の3人で行った。警視庁に保管されている指紋約600万人分。当時、コンピュータなど無く指紋照合はこの3人の手作業で進められた。

7年後の時効まで死に物狂いの作業で照合できたのが157万人分。力及ばず敗退したのだった。この悔しさから11年。塚本にとって「3億円事件」からのリベンジーであった。事件から2日後、強奪された現金の一部が発見された。塚本はその中の新券だけを調べた結果、犯人と思われる6個の指紋の採集に成功。この指紋の中に犯人はいるとみて指紋照合の作業が開始された。

一方、緒方ら捜査一課も犯人が残した遺留品から捜査を進めていた。この中で、車中に残されていた毛布を調査したところ「リース品」だったことが判明。毛布に縫い込まれていたタグを頼りにリース会社にあたった。そして、ついに毛布をリースしたのは《外国人》だったことが判明した。
鑑識課の塚本も指紋のサイズが大きいことから《外国人》なのではと疑問に思っていた。

毛布のリース先から犯人が利用していたマンションを突き止めた。このマンションを仲介した不動産会社に問い合わせると賃貸契約者はフランス人でパスポートの複写が残っていることが判明。警視庁は早速、フランス警察に犯罪者リストの指紋照会を依頼した。
フランス警察から送られてきた指紋リストを新券に残されていた指紋と照合した結果、ついにフランスの強盗団のボスでフィリップ・ミエール・ジャマンらフランス人3人とアルジェリア人1人であることが判明した。事件から1年後の昭和62年10月だった。

警視庁はICPOを通じて国際指名手配。内、ボスのフィリップ以外はフランスで逮捕。昭和63年4月25日、主犯のフィリップは潜伏先のメキシコで逮捕された。まさに警視庁の執念が犯人検挙に結びついた。

−動機−
フィリップ・ジャマンはフランスで有名な強盗団のボス。モネやコローなど世界的な絵画を強盗し転売する組織で、ヨーロッパ全土に捜査の網がかけられていた。このため、ほとぼりが冷めるまで金満大国の日本へ出向き絵画の転売を計画した。ところが来日後、一向に絵画の売買取引は進まず、「ならば強盗でもするか」という程度の動機で計画したことが判った。


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