丸正事件


−経緯−
昭和30年5月12日午前2時30分頃、静岡県三島市の丸正運送店の店主・小出千代子さん(当時33歳)が手拭で絞殺されているのが発見された。通報を受けた三島署は捜査を開始。5月30日、沼津市の大一トラックの運転手で在日朝鮮人の李得賢(当時42歳)と助手の鈴木一男(当時34歳)が別件で逮捕された。

翌日、鈴木は犯行を認めて主犯は李であると自供したが、李は全面否認。6月22日、2人は強盗殺人罪で起訴された。

8月7日、静岡地裁の公判で鈴木は、「自白は強制されたもので取調べ中、血を抜かれるなど激しい拷問で犯行の筋書きを覚えさせられたりした」と証言し、それ以後2人は犯行を全面的に否認し無実を訴えた。

だが、昭和32年10月31日静岡地裁は、李に無期懲役、鈴木に懲役15年を言い渡した。その後、控訴、上告したが昭和35年7月17日最高裁は上告を棄却。二人に有罪が確定した。

昭和49年4月25日、鈴木は刑期満了で出所。昭和52年6月17日、李は罪状否認のまま仮釈放された。2人はその後再審請求を続けている。

−冤罪か−
この事件で物的証拠は被害者の小出に巻きついていた手拭だけであった。この手拭は大一トラックが昭和29年、30年に年賀用として配った手拭であった。捜査当局は、李が貰った手拭で小出さんを絞殺したとしたが、その証拠は曖昧で公判でも明確になっていない。さらに犯行当日、丸正運送店の近くに大一トラックが停まっていたというタクシー運転手の証言も二転三転し、運転手と一緒にいたとされる者が目撃自体を否定した。

また、李が小出さんを殺害後、預金通帳と印鑑を盗んだとされたが、事件から6ヵ月後に小山さんの母親の実家から通帳と印鑑が発見された。検察側は、犯行動機を゛金目当て゛としていたが、これで犯行の動機が崩れたにもかかわらず、公判では何故か不問にされた。

そもそも、2人が犯人として逮捕されたきっかけは、東京着が゛僅か15分の差゛という事実だけであった。犯行があったその日、李は非番だった。ところが、当日は顧客からの荷物運送の依頼が多く、会社の要請で李が快く運送を引き受けたのだった。

李達のトラックが東京に向けて沼津の大一トラックを出発した15分後に同じ会社のトラック2台が同じく東京に向けて出発した。ところが東京の荷主に最初に到着したのが、後続の2台のトラックだった。それから遅れて15分後に李のトラックが到着した。捜査本部は、後続の2台のトラックより到着が遅れたことに不審を抱いた。このことが、捜査線上に浮上した理由だった。

だが、2人の証言によると当日は荷物を満載していたことでトラックに相当負担をかけていた。その影響もありエンジンの調子が悪く、オイル切れをしたため箱根峠で注油するのに15分かかったとした。この時に後続の2台のトラックに追い越されたのだと主張した。

この事件で更に注目を集めたのが、正木ひろし、鈴木忠五の両弁護士が、「真犯人は小出の親族である。事件当夜、丸正運送店の2階に義理の兄夫婦が寝ていたのに、事件に全然気づかなかった事は不自然である」として小出太郎・幸子夫婦、小出博さんを強盗殺人で東京地検に告発したことだった。

これは不起訴になるが、その後、小出家の3人は名誉毀損で告訴。15年間にわたる裁判は「事実上の再審」と呼ばれた。が、この裁判では小出家側が勝訴している。


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