小島事件(紅林警部補・捏造事件−3)


−経緯−
昭和25年5月10日深夜、静岡県庵原郡小島村で主婦が自宅で殺され2500円を奪われた。発見時、薪割りのオノが主婦の頭に突き刺ったままで現場は戦慄が走った。現場の時計は11時37分で止まっていた。

25世帯しかない村落の人々は互いに疑心暗鬼に陥った。6月19日、村民の名指しで永松敏夫(当時25歳)が別件逮捕された。
この事件も゛名刑事゛紅林警部補が捜査主任だった。

永松は事件当日、酒宴から午後11時少し前に帰宅。麦の被害調査書を書いてから妻と就寝したアリバイがあった。が、永松はその主張をしていない。それほど、紅林警部補の拷問は凄まじく、犯行の自供と「死刑を覚悟で犯行した」という内容の供述書を書かされた。

昭和27年2月静岡地裁、昭和31年9月東京高裁はともに無期懲役を言い渡した。オノで一回峰打ちした犯行様態の秘密の暴露を紅林警部補の巧妙な誘導尋問と妖計によってデッチ上げられた自白調書が証拠として採用されたためであった。

−紅林警部補のデッチ上げ−
昭和33年6月最高裁は「自白に任意性が無い」として原審を棄却、東京高裁に差し戻した。昭和34年12月12日東京高裁で永松に無罪が確定した。《幸浦事件》、《二俣事件》に続いて三度の最高裁による棄却破棄。世論は表彰351回を豪語する紅林警部補に非難が集中した。わずか2年間で無罪の2人に極刑と1人の無期懲役をつくりだした紅林警部補は昭和38年9月、脳出血で急死した(55歳)。


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