二俣事件(紅林警部補・捏造事件−2)


−経緯−

昭和25年1月6日深夜、静岡県磐田郡二俣町(現、天竜市)で一家4人(夫・46歳、妻・33歳、長女・2歳、次女0歳)が殺害された。両親は頸部を匕首(あいくち)で刺殺、長女は絞殺、次女は母の下で圧死していた。川の字で寝ていた男児3人は無事だった。

7日朝、長男の連絡で二俣署の捜査班が現場に急行し捜査を開始した。現場の六畳間は押し入れが荒らされ柱時計は11時2分で止まっていた。家の外には27センチの足跡が残っており、手製の匕首と血染めの手袋も発見された。
警察は、素行不良の者を調べていくが、その中で奇術師一家の長男・須藤満雄(当時18歳)のアリバイが明確でないとして2月23日別件で逮捕した。

須藤は無実を主張したが、その後犯行を自供したため3月17日、殺人罪で起訴した。が、起訴後に自白は拷問により強要されたとして無実を訴える。昭和25年12月27日、静岡地裁は死刑判決。昭和26年9月、東京高裁は須藤の控訴を棄却した。

昭和28年11月、最高裁は「自白の事実性に疑いがある」として原審破棄、東京高裁へ差し戻した。昭和37年10月26日、東京高裁で検察の控訴を棄却し須藤に無罪が確定した。

−またしても紅林警部補の拷問、捏造−
この事件も《幸浦事件》、《小島事件》同様、国警静岡県本部・紅林警部補のデッチ上げだった。取調べで須藤に殴る蹴るは当たり前の拷問と自白の強要・誘導を徹底的に行った。たまりかねた二俣町署の山崎兵八刑事が新聞、法廷で拷問の事実を告発した。
ところが、山崎刑事は一審判決の当日、偽証罪で逮捕され゛精神疾患゛のレッテルを貼られて免職させられた。更に自宅を不審火で焼失する被害にあっている。

紅林警部補の取り調べも実にいい加減で、須藤には犯行時間の1月6日の午後11時には明白なアリバイがあるのに、「実際の犯行は午後8時30分から9時であり、推理小説をまねて現場の時計の針を指で回しアリバイ工作をした」という自白を強要した。

ところが、須藤の着衣からは返り血が検出されないこと、須藤の足のサイズが24センチであること、匕首の入手方法が不明であること、須藤が柱時計の蓋にガラスが無かったことを知らなかったことなど、秘密の暴露は全てデッチ上げと最高裁で指摘された。
まさに紅林警部補の正体が自白のもとに晒された瞬間であった。


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