八高線・列車転覆事故


−経緯−
昭和22年2月25日午前7時50分頃、八王子発高崎行きの列車(蒸気機関車)が買出し客を満載して埼玉県入間郡の高麗川駅構外手前1キロメートルの急坂カーブにさしかかった時、6両編成のうち2、3両目の連結器が外れて後部の4両が5メートルの築堤から転落して死者163人、負傷者249人を出す大惨事が起きた。

−気付かなかった運転機関手−
同列車の運転機関手は、この事故に気付かずニ両を牽引したまま高麗川駅に到着した。この運転機関手はまだ23歳で経験が浅かった。同駅員に言われて初めて後部4両が脱線転覆したことを知った。

現場はR250の急カーブと1000分の20という下り坂で、全国でも珍しい危険な区間であった。この区間では通常時速50キロメートル以下を維持する。ところが、車輌は買出し客で満載であったため減速が効かず時速55キロメートル以上がでていたと推測され、それが原因で脱線事故につながった。更に戦後間もなくのことで保線管理が充分でなく列車の老朽化も原因とされた。

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