幸浦事件(紅林警部補・捏造事件−1)


−経緯−

昭和23年11月29日、静岡県磐田郡幸浦村(現、浅羽村)の海岸沿いにあるアメ製造業一家4人(夫・34歳、妻・28歳、長男・5歳、次男・1歳)が失踪した。失踪当日まで変わった様子がないこと、妻の眼鏡が自宅にあることなどから事件に巻き込まれた可能性があるとみて国警・静岡県本部は10日間で延べ2000人を動員し捜索した。海岸に向かう途中で赤ん坊のオムツが発見されたが手掛かりは掴めず捜査は行き詰まった。

翌年の2月12日、近藤勝太郎(当時23歳)、小島敏雄(当時19歳)が別件で逮捕された。が、捜査本部は近藤らに一家4人殺害の犯人として取り調べを行う。14日、近藤は一家4人の殺害を自供した。同日、共犯の近藤糸平(当時45歳)と盗品を買い受けたとして吉野信尾(当時38歳)も逮捕された。

−公判(死刑から無罪へ)−
警察は、近藤の自供にもとづき4人が絞殺され埋められていた遺体を発見した。
その後、近藤ら4人は無実を訴えたが昭和25年4月、静岡地裁は近藤勝太郎、小島、近藤糸平に「3人が共謀して強盗殺人をした」として死刑、吉野に懲役1年を言い渡した。昭和26年5月東京高裁は4人の控訴を棄却。
昭和32年2月、最高裁は「重大な事実誤認の疑いがある」として原審を破棄、高裁へ差し戻した。

昭和38年7月、最高裁は検察側の上告を棄却し近藤ら4人に無罪が確定した。だが、主犯とされた近藤勝太郎は昭和34年8月に持病の癲癇がもとで無実を手にすることなく34歳で獄死した。

−警察のデッチ上げ/紅林警部補−
4人の自白は過酷な拷問のためだった。近藤らは焼火箸で手や耳に押し付けられ自白を強要された。取り調べも犯人しか知りえない「秘密の暴露」では近藤らの自白で死体を埋めた場所が判ったという検察側の主張は、事実は自白の一週間前に警察犬や鉄棒で付近の海岸を捜索し遺棄場所を察知していた。その場所を近藤らに誘導し自白させたものだった。

この捜査主任は国警静岡県本部刑事課の警部補「紅林麻雄」だった。この県下一の゛名刑事゛はその後《二俣事件》、《小島事件》など次々と冤罪事件を生み出していった。紅林は別名「拷問王」と呼ばれ、無実の人でも極刑の殺人犯に仕立て上げる゛腕゛を持っていた。紅林捜査方式は肉体的拷問・徹底した妖計・上司と部下の連携(アメとムチ)という図式でデッチ上げを繰り返していた。
これで、351回の表彰を受けているというから呆れるばかりである。


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